健康について考えてみる(2)

更新日:2015.3.6


衣食同源については、前回にも記述しました。
食物は、まさに健康と同義語と言えます。

友人の子供二人は、中国人とのハーフです。
6才と8才の二人に、日本製の牛乳を飲ませたところ、
二度と中国製の牛乳に口をつけませんでした。

日本製は中国では高価なので、困った友人は日本製のビンに
中国牛乳を1本入れておいたところ、何と、飲んでいたのは、
日本製を入れたビンの牛乳だけで、隣に置いた中国製には口をつけなかったのです。

この様に、子供の味覚は鋭いのですが、大人の友人にはその区別がつかなかったのです。
大人は鈍感になってしまっているのでは・・・?

私達の回りにある食品はどうなのでしょうか?
レトルト食品、外食が多くなり、自然に味覚が衰えているかもしれないと、
考えるべきではないのでしょうか?

中国では、上海近郊で農業を営む人の大半は北方から出稼ぎの農家が多く、
土地を借りて一年中農作物を生産しています。
その為、虫害等を防ぎ、生産性を高めるために、
法律で禁止されている農薬も使用していると、報道されていました。
農作人は薬品の知識が無いのですから、罪の意識はありません。

一方、無農薬で野菜を作っている農家は、自分の子供達のためにもと、
頑張っているが、野菜を市場に持っていくと、虫食いの野菜には目もくれません。
しかも価格はどうしても割高になるのです。

体に良いもの、自然に近いものは、値段が高くなります。
良い物を正しく選び、少量でも大切に食べる生活者がいない限り、
食品でのトラブルは収まりません。

中国人は、できれば日本製をと言っています。
日本人は、何と言っているのでしょうか?
あれだけ中国野菜、餃子、レトルト食品の中国製の問題が報道されても
消費者の選択が変化しない限り、利益拡大化のために、
低コストでの食品調達のルートは変わりません。
防腐剤の入った食品を永年食べた人は死んでも腐らないと言われました。
防腐剤の知識を持つ必要があります。

ゴキブリでも食べない食パン、何日放置してもカビも生えないパン菓子。
夏の日中、プラットフォームで売られている駅弁等、
どうして腐らないのかと疑問を持たないのだろうか?
国が許可した防腐剤は奨励されているわけではなく、
腐ったものを食べるよりは、腹痛、下痢、中毒を防ぐための
やむ得ない範囲で使用されているものと信じたい。
少々体には悪いとしても、もし食中毒を引き起こせば企業の生命にかかわることになる。

販売側は、食中毒が生じるおそれがない様に、安全にと考えれば、
防腐剤の量が多くなるのを防ぎようがない。

防腐剤は自然のものではないので、
国が認可しているからといって、毎日防腐剤づけの食生活で
体の健康が長期に亘って保てるとは思えない。
少々の薬剤ではすぐには、人間は死なない。

もしかして、これが食品業界の常識であれば、
生活者自身が防衛するしかないのである。
わずかばかりの薬剤が長年体に沈殿していくとしたら、
これは恐ろしいことだと思わなければ健康な体創りは出来ない。

病気になって失う時間と費用を考えると、少々価格の高い食品であっても、
安全を保証してくれる食品を選ぶべきであろう。
中国の友人は言う。中国には選ぼうにも、どれもこれも
まともなものが無く選択肢はない。
子供を持った親達は、皆、日本の様なクリーンな処へ行きたがっている。
このユートピアの様な日本で、日本人は、食は安全と安心しきっている。

そこに乗じた食品偽装事件が多発しているに拘らず、
私達の平和ボケ安全ボケが続いている。
自分の健康は医者が保証したり、守ったりはしてくれない。
自分で防衛していくしか無いのである。
私達の周りには、加工食品が蔓延している。
自然な食品は都会では努力しなければ手に入らない。

食べる毎に健康へのイメージの拡がる食品か、
もしかしたら悪い予感のする食品を、毎日口にしているのか?
少し注意して考えれば、分かることなのだから。

病気になれば、医者にかかれば良い。
その為に、高い保険料を払っているのだから。
そこで医者も商売であり、医薬品メーカーも商売である。
健康な人ばかりでは商売上がったりだ。
医者が病人を創り上げる傾向にないだろうか?
いつの間にか、むかしなかった現代病が増えている。
メタボ指数、うつ病、高脂血症(コレステロール)、
くしゃみ3回で薬を飲んでいたら、おちおち、
くしゃみもできない世の中に誘導されてしまっている。

自分の体のことは、自分が一番知っているのだから、
平常から自分の体との対話を欠かしてはならない。
変兆があれば、その原因を究明する習慣をつけたいものだ。
誰のものでもない、自分の体なのだから。

カテゴリ:貞末良雄のファッションコラム

健康について考えてみる(1)

更新日:2015.2.5


100才まで生きて論じることかもしれないが、あと25年かかる。
それでは間に合わないかもしれないので、健康に関して話してみたい。

人間の体を精密機械に例えてみれば、何千億円かけても人間技で作り出すことはできない。
想像を超える、繊細なものであると認識しておかねばならない。
たとえ、車であっても充分に手入れをして、大切に愛して使えば長持ちする。
大切に手入れをしている車を、乱暴に運転することはできないものだ。

私達は、自分の体が頑丈にできていると思い込んでしまっている。
一病息災は自分のどこかが故障しているから、安全運転して、体を労わりながら生きている。
これが、むしろ正常な体と思い込んでいる人より長く、それなりの健康体を維持して長持ちしているのであろう。

健康であっても、この精密機械に負荷をかけない様、大切にしなければならない。
壊れてしまっては、車の部品を取り替えるようなわけにはいかない。
中国のことわざに
「病気はその兆候が表われるまでの時間をかけなければ全治しない」とある。
60才で20年前からの生活習慣が原因で病魔に侵されたとすると、
完治には80才までの年月が必要となる。
この様に考えると、40才になる前に、体に負荷のかかる生活習慣を改めておかなければ、
それ以降の病気は手遅れになってしまう。

オーストラリア原住民のアボリジニ族は、平均120才まで生きると言われている。
彼らは、それより若く命を失う人々は緩慢なる自殺行為を、生活の中で繰り返しているという。

30年以上も前、世界保健機構のタバコに関する論文内に、
-タバコは人の命を縮めるもっとも危険なものであり、タバコを吸う習慣の無い人は、
人類を救う選ばれた人たちである―
という項目に強い衝撃を受けたものである。早死にしたければ、タバコを吸えば良いのである。

先輩が新聞記者と談笑していたあるパーティーで、二人は共にヘビースモーカーであった。
彼ら曰く、タバコを止めるくらいなら、死んだ方がましだ。
戦争中でも食べるものには我慢出来たが、タバコは無理だった。なんとか手配をしたものだ。

しかし、その両人は、やがて肺に欠陥がみつかり、これ以上の喫煙は命を縮めると言われ、
その日から禁煙してしまった。
命よりタバコは大切だと、豪語したのは、自分だけは大丈夫と考えていたのであろう。
残念ながら、喫煙をやめても、侵された肺は元に戻らなかった。時すでに遅かったのである。

次に体の中で傷みやすいのは歯であり、その次は目と言われている。
医食同源と言われるのは、食事と健康は本質的に同じであるという意味で、
口から入るものが、体の健康を左右すると考えなければならない。

口から入るものは、歯によって細かく砕かれ、消化を助けることになる。
従って、歯を大切にしなければならないのであるが、以外と歯を大切にしている人は少ない。
笑うにしても、話すにしても、人前に歯をさらすことになる。
健康な白くきれいな歯、または、よく手入れされ、
治療された歯並びはその人の全てを表現していると言っても過言ではない。

健康でストレスを感じない生活を望むなら、絶対に歯の治療を後回しにしてはならない。
いくら費用がかかろうと、時間が必要であっても、人生の全てが係っていると考えて、
即刻歯医者の門をたたかねばならない。

前歯の汚れ、欠け等の放置は健康だけでなく、人格の中味すら曲げて受け取られる危険性をはらんでいる。
奥歯は言うまでもない。たべものを砕く武器でもある。
永久歯は代替えがむずかしい。虫歯も極端な歯列の悪さも、将来に禍根を残す。できるだけ早期の治療が望ましい。
健康はお金を貯めるよりむつかしい。
お金は食うや食わずで貯めることもできる。
ある日突然に相続を受けたり、馬券や宝くじに当たるなど、予想外なことでも、お金を手に出来る可能性を持っている。
しかし、健康は、毎日毎日、努力して積み立てていくものである。

20年の努力も、わずか1か月の無茶苦茶な生活、ストレス過多な生活をすれば、
全てを失ってしまう。
健康とは、毎日自分と向き合い、今日の行動がよかったか、もし悪かったら、無茶をしたら、
それによって、体は傷つけられていると考えることである。
正常な日常を取り戻し、時間をかけて癒していく。その決意を持ち続けることが健康を保つ一つの方法でもある。
人間の体は、決して丈夫ではないと考えるべきである。
自分だけが例外的に丈夫ではないのである。

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人の上にたつ (2)

更新日:2014.8.12


よく、人の上に立てるのは部下のサポートではなくて上からの引っ張りに依る事が多いと言われる。企業力学である。
従って、上に阿る集団の習性がはびこることは避けて通れない。
集団の力学とは、こうしたものであると自覚しなければならない。

果たして自分はその分類に入る人間なのであろうか、自己分析が欠かせない。
どんな理由であれ、人の上に立ったならばその役割を遂行せねばならない。
失敗は部下の責任、手柄は自分。このような行為は誰からも信頼を得られるものではない。
自殺行為と悟るべきである。
実力でTOPに立ったのか、否かは自分よりも他人の方が判っている。
故に、どんな理由であれ、TOPに立つ人は大きな責任を背負うことになる。
その時こそ第2の人生の出発点と考え自他ともに認める自分に向かって精神的にも、
肉体的にも強く鍛え目標とする自己実現に近づかなければならない。

精神を鍛える、それはいかなる困難にも動じない自分創りである。
困難に遭っても狼狽しない自分創りだ。
困難を克服するには学問は役に立たない。
実戦経験に依るしかない。(避難訓練みたいなものだ)
体が動かなければ何の方策も出せない。
困難は、その本質を見極めその奥に潜む真の問題点を、そしてそれは何故起こったのか、知覚する事である。
知識、理論派は考えるだけで行動には臆病である。
行動、決断出来る人は、体験派であり問題の本質を体感、認知している。
体験派は、今までに色々と痛い思いを含め、様々な選択肢を経験した人であり、脳の回路が何を優先させるか、
問題の本質は何か、だから何なのだと開き直れる、そんなプログラムを構築してきた人と言える。
秀才が有事に弱いと言われる所以である。

(体を鍛える)
健全な精神は健全な体力に宿る、耳にタコが出来るほど聞き慣れた言葉であるが、どれだけの人が体力を鍛えているだろうか?
第一に緩慢なる自殺行為と言われているのが喫煙である。
癌、痴呆、欝(うつ)のリスクは何倍も高くなると言われている。
人は老い易く、学、成り難し。と言われる様に、短い人生で凡人の自己実現は健康で長生きして初めて実現する。
健康でなければ正しい判断は下せない。
どんな状況にも対応するTOPが健康を維持出来なくては資格を有しないと同じ事である。
流行のうつ病などは健康を害することから始まると考えてよいのではないか?
体が健全でないと、負の思考、すなわち物事を前向きに捉える事が出来なくなる。
リーダーが仕事を完遂するには、明確な判断基準と強い達成への意欲、誰もが納得する高い理想や信念が集団の共通認識となり
エネルギーの渦となって、全体を牽引していくのである。
信頼に基づき集団が一致団結することが理想であり、その環境を創るのが真のリーダーである。

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カテゴリ:貞末良雄のファッションコラム

ポケット論争

更新日:2014.8.5


ドレスシャツ、Button Down以外を胸ポケットの無いものに変更した。
ドレスシャツのポケットを外す決定には賛否両論で、未だに(1年経過)反対の立場の方々から厳しい批判を戴いている。

その論旨は、
1.『ここは日本である。日本人に売る以上、日本の気候風土、習慣に倣い日本人仕様のシャツを販売すべきではないか。あなたも日本人ではないか。』
2.『私は米国に何年も滞在したがシャツにポケットなしなど聞いた事がない。何かの思い違いではないか。』
3.『夏場はクールビズが浸透していて、上衣、ネクタイなしが一般化している。上衣が無いので、シャツのポケットは必要不可欠である。』
4.『単なるコストダウンではないか。』

以上の論旨は、ごもっともと考えている。

しかし一方で、
『正統なドレスシャツ(ポケットなし)を着たかったが世界の一流ブランドやラルフローレンのドレスシャツしか捜せなく、いくらなんでもこれらのシャツを何枚も購入することは出来ない。
10年以上も前には確かスリムFitシャツにはポケットがなかったが、オンラインショップが始まって、やがてポケットありになり、鎌倉シャツには失望していた。
鎌倉シャツさん、よくやってくれた。』

こんな賛成意見も在る。

NEW YORKに出店してオープン初日早々に、ポケット付きのドレスシャツについて、「何故ポケットが必要なのか」お客様に問いただされた。

彼の論旨は、
1.『シャツは肌着に近いもので物を入れる機能は必要ない。』
物を入れたければ、JACKETにもPANTSにもポケットは沢山ある。

2.『シャツはスタイリッシュに着たい。』
シャツとネクタイはビジネスシーンにとってとても重要で、敢えて言えば最も男性がSEXYであるのは、上衣を脱いでシャツ姿になった時である。
故に彼はジャストサイズのシャツを探している。
ジャストサイズのドレスシャツを着用して、ポケットに物を入れれば、そのシルエットは崩れてしまう。デリケートで高級なシャツ地はダメージを受けてしまう。

(余談になるが…
アメリカ人は太った人が多く、又すぐに太るという恐怖心から少々大きめのシャツを購入する傾向がある。
メーカーが“スリムFit”と言っても、表現はそうでも必ずしもスリムでない“スリムFit”シャツが溢れている。
日本人はそんなに太るという恐怖心が無いだろうから、日本人の作る“スリムFit”は本当に期待通りのサイズに違いないと考え、買いに来たという方が大勢いたのです。)

アメリカでは正に、ポケット付きのドレスシャツは1枚も売れなかった。

イギリスで発明され、進化したドレスシャツであるが、正統な源流は、ポケットなしだ。
ポケット付きはジャパニーズアレンジであって、これを世界に拡大することは不可能である。
私達の会社の社是は日本人の男性をおしゃれにする事であり、世界で活躍するビジネスマンを応援すると設立以来、この目的に邁進してきた。
もし、NEWYORKでお客様の忠言がなければ、応援していたつもりの人々を世界の檜舞台で恥をかかせてしまったのである。

考えてみれば衣服が買える生活でなかった第二次世界大戦後は、セーターは手編みで作り、上衣は軍服を改造し、有力者は街のオーダー屋さんでスーツ、ヂャケットを作らせていた。
この頃は、衣料は暑さ・寒さをしのぐ必要衣料であった。
従って衣服には、機能が具わっていることが必須で、購入の動機はその機能の良し悪しが決め手であった。すなわち、人々は衣服の機能を購入したのであった。

やがて人々の暮らしが向上し、衣食が足りた婦人にはFASHION誌が、男にも、男子専科などのおしゃれ誌が登場した。
1950年後半に石津謙介の設立した服飾メーカーVAN JACKETが誕生する。
人々は機能消費から目覚め、格好いいもの、すなわち“情緒豊かなもの”を求めるようになった。
(機能消費から情緒消費への転換である。)
機能ではなく、“情緒”を刺激したのがVANであった。
若者達も大人も、服は格好良いもの、夢を叶えてくれるものとして、一世を風靡したのである。
私はVANに在籍し、その伝統を受け継ぐ者として、服は“格好良いもの” “情緒を豊かにしてくれる” そんな使命を引き継ぎたいと考えている。

当然、日本には機能満載のポケット付きドレスシャツやクールビス対応の派手なシャツが世に溢れている。
それが果して格好良いか否かではないだろうか。
そのシャツ(鎌倉シャツを含め)が好きか嫌いか、それこそ情緒の問題で、それを選ぶ本人の自由である。そこには誰も異論を唱えることは出来ない。

格好良いか否かは、他人が判断する。
自分がそう思っても、他人が評価しなければ、それは一人よがりという事になる。
自分の評価は他人がするのである。
異論反論、有難く受け留めるが私たちの会社の使命としてやっていく決定を覆すことは考えていないのである。

格好よいビジネスマンが世界に飛躍する姿を夢みて

貞末 良雄
2014.8.5

カテゴリ:貞末良雄のファッションコラム

人の上にたつ (1)

更新日:2014.6.10


努力して認められて、ある集団の責任を任される。
すなわち、俗に言う「出世する」ある範囲のTOPになることである。
恐ろしいことであるが、息を耐えだえに踏んばって、踏んばって、TOPに立った人はやれやれ、一息。と思うものである。

私もこんなに頑張ったのだから、お前たち(部下)も私と同じようにやれと、出来ない部下を叱りつけて、全体の士気があがらなくても、それは全て部下が悪い。だらしがないからと思う。何度言っても、部下はミスをする。叱れば叱る程、ミスを繰り返すものである。

自分の向上は一休みして、高みから下ばかり見る様になる。
高い処は安全地帯と思ってしまう。これ以上、自分は進化し、向上しようとは思わない。
もう、面倒くさいのだ。今まで、随分努力してきたのだから・・・

こうして、登りつめた途中の高台で、満足することを、無能のレベルに到達したと言い、その人は終わるのであるから、自分の地位を脅かす何物にも鋭い敵意を内包する。

どんな建設的な意見にも、それを受けたら自分が劣っていると思われるのか、恐ろしくなってしまう。
この無能のレベルは、始末の悪いことに、本人は気付いていないのである。

ここまで努力して、得た地位であるから、地位が高いとその人は偉いと、勘違いしてしまう。
地位が高い人は、部下からみれば、皆の不出来、失敗を背負ってくれる人と考えているから、そのギャップは大きい。

地位は責任の重さの目安であり、それを楽しみ、部下の才能を愛し、自分より優れた部下を認める力を持つべきであり、愛情をもって、部下を叱り教え、集団のヤル気を向上させる役目を担っているのだ。

無能なボスに成ってはならない。気配りを欠かさない縁の下の力持ちこそが、真のリーダーである。
一番下から皆を持ち挙げるのだから、力は要る。バネも要る。
その行動こそが、誰もが認めるリーダーではないか?
リーダーとは、どうあるべきか等の本を読んで理解した。
判ったということと、やれる、行動を起こすこととは違うのだ。
この文章を読んで、今から行動を起こせる人は数少ない人達と思う。
しかし、この数少ない人達によって、会社も、日本も、世界を変えていくのではないか?

人の上にたつ(2)はこちら

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