私の勤務した会社の社長であり、私の人生の師でありました石津謙介先生が5月24日、93歳で永眠されました。追悼の言葉を以下、ご紹介致します。

「石津先生、さようなら」MFU理事 貞末良雄

どの角度からでも発想が拡がり、80歳になられたあの頃も、年間100冊の本を読み、その時代感覚は鋭敏で若さ溢れていた石津先生は、私が会ったどんな人よりも凄いお人でした。どれだけ教わったか数限りありません。

VANが自分の思う方向と違って、どんどん大きくなる。一体何が起きているのか。商品倉庫に来られ、「貞末君、こんな物が売れるのかね。」とタオル地Tシャツを手に取られ、またBAGの強度と確かめて、思い切り引き裂いて見せる。見事に裂けたBAGを見て嘆息された。その時、どうして?という思いが強くあったのだと思う。課長職以上の中間管理職に、この会社をどうするべきかとレポートを求められた。
私はどうしても読んで欲しい数項目の提案書を、敢えて藁半紙に4Bの鉛筆で箇条書きに提出した。すぐに呼び出され、レポートの束から私のレポートをいち早く手に取られた。常識に促された一般論は不要であった。60通のレポートの細かい字、そんなレポート等読める筈もない。大変お褒め戴き、勇気と物事の本質を見極めること、私の進むべき道を示唆された。

同じようにレポートを倒産後の会社で試みたが、上役を愚弄するのかとひどく叱られ、危うく首を切られそうになったものだった。常識や定説を嫌い、新しい知恵と創造に挑戦された。
でも、自分の会社が一体どうなっているのか。多勢の商社の管理部隊が応援?に駆けつけ、また総評系の組合が跋扈した。私は時々呼び出され、赤坂東急ホテルの地下の中華街で会社の現状をご説明する。別世界の物語を聞く様に熱心に耳を傾けられた。終わりに何時も長嘆息された姿を見て、私はできる限りの努力を胸に誓ったものでした。

しかし、78年にVANは倒産。暫くしてお会いした先生は大きな悲しみの中にあっても、比較的お元気で、「私の人生の残りは私の門下生に捧げるつもりだ。いつでも私に出来ることは何でもする、遠慮なく言ってくれ」と。大勢の門下生が知恵やアイデア、励ましの言葉を求め、門を叩いたものでした。

2003年3月19日、大阪VAN同窓会を企画した。大阪支社は260人中100名もの参加、東京在住、元大阪出身者の20名もやってきた。そしてそれぞれ壇上に上がり、私達の人生の総ては、VANから始まり、教わった事、体に染み付いたVAN文化によって生計を立てることができたと口々に感謝の言葉で、会場は興奮のるつぼと化した。憎しみや悲しみの恩讐を越えた邂逅であった。

東京本社での集いにも全国から300~500人の卒業生が参集する。倒産した会社のOBが、こんなに喜んで楽しく集まる会社、そんな例がこの世に在ったのだろうか。VANの底知れぬ魅力、それは石津先生そのものであったのです。
約3000人はVAN学校の卒業生として業界に玉と散った。里見八犬伝に準えてみるように、石津先生の教えを携えて、FASHON業界の新たな飛躍を促すべく、門下生は玉となって業界に吸い込まれていった。VAN卒業生は業界の至るところで活躍している。

すなわち石津謙介先生の分身は、先生の教えを業界にあまねく伝えたのである。石津先生こそが、20世紀の我々の業界のGIANTであり、500年後になっても、この時代の巨人として語り継がれ、唯一人の歴史上の人物となっているのである。そして私たちVAN卒業生の心の中に、いつまでも生き続け、私達の後輩、子供達にこの思いが引き継がれていくだろう。

石津謙介先生有難う。