野中郁次郎著 『失敗の本質』 は、30年も前に読んだのであるが、未だに脳裏に焼きついて忘れることが出来ない。 人間の愚かさが自身に振り返り、反省を迫ってくる。

勉強し、努力し、知識を詰め込んで事に当たるとき、自分の正しさを強く意識するようになる。
TOPに立ち、自分の正しさを論理を並べて主張するとき、誰もその人を諫めることが出来ない。

この本では、明治時代の軍のTOPは多くの実戦体験の中から空気を体感し、勝機を察知することができた。理屈抜きの判断力は、現場の体感を幾度も経験することである。
昭和の軍は、頭脳明晰ではあるが経験の乏しい本部要員が、論理的・帰納的手法で机上で戦略決定した。
そこには「体感した手痛い失敗の本質を捜す」という思考回路は入り込んでこないのである。

安倍政権が参院選で負けたことは、どうもこの失敗の本質を自らの判断基準として持っていなかった。
一方、小沢民主党は現場の空気を読みきった体感主義が勝利したのである。

上述のことを今日本の私達アパレル業界に当てはめてみよう。

人々の欲求は日々変化している。
その変化の背景にあるものは複雑・多岐にわたり、論理的に推論するとしてもその一端しか捉えていないのかもしれない。
人々の欲求に応える為に物作りするとき、私達産業人の指導者がどれだけ現場・現地(原材料の)に立って仕事しているだろうか。

生産の現場に関与することなく製品が出来上がる。
言葉は美しくコンセプトを語り、FASHIONを謳う。
コストと納期(安くたたいて仕入れ、販売のタイミングに合わせて何がなんでも納入させる)

こんなことがまかり通り、売り場の商品が同質化する。
レーベルを外せばどこの商品か判らない、個性や主張のない商品ばかりである。

デパートの売上減少に歯止めがかからない。
売場維持のためには、売上額と差益の絶対死守が出世街道となる。
本質が見失われ、現場あるいは商品すら見ることなく、ますます机上の計算(エクセル表)論理的・予算達成方程式で仕入れが行われる。

もう自分だけ良ければの世界である。
それでも泣く子とビックバイヤーには勝てない。
行く末が地獄と分かっていても引き返すことができない・・・と、納入業者の嘆きが聞こえてくる。

今私達の回りのアパレル社会では、まさにこの失敗の本質で語られた、失敗の道をまっしぐらに突き進んでいるのである。
なまけ者の私でさえ、麻の生産地・綿布の紡績の現場・ニット産地の現場を歩いている。
その現場の方々の日々の努力、創意工夫、勇気あるチャレンジ。
それらに触れながら、感動し、共感し、喜びを分かち合う。
縫製工場の皆様にはミシンの一針に 『あの会社のため』 という入魂をお願いできないかと考え、スタッフ総動員して意志疎通に努めている。

人間と人間が作り上げていく社会である。
人間と人間の関係を無視して数字や物だけが動き、その上に商いを組立てているとすれば、震度1や2の揺れでその仕組みは瓦解してしまうだろう。

私達のような小さな会社が、素材の調達で日本で一番と言われる方法を実践し、リスクは背負うけれどもそこで初めて皆様に喜んで戴ける。
質と価格を、現場に立って、皆様の立場に近づいて達成しているのである。

リネン・カシミヤ調達の旅から帰って、その思いを書きました。