年に数度しかやらないGOLFの招待を受けた。上手くないので、いやいやながらのGOLFである。
午前中に大雨になってしまった。
スタート延期、やれやれであった。でも折角来たので予報通り午後から、やれるかもしれない。
時間潰しに、コーヒーを、やがてビールになった。

初対面で話題もない、相手は相当に偉い方だ。畏れ畏れ私の昔話しを始めた。
創業するまで勤務した会社5社は、この世から消滅してしまった。
人の能力なんてものは、勉強が出来るに越した事はないが、どんな環境に遭遇しても、生き延びる力を持ち続ける事が、その人の最終の能力かもしれない等々、苦労話しを出来るだけ楽しく、ビールの勢いもあって、会話も盛りあがっていた。

突然その偉い人が携帯電話を取り出し
「何やら、おもろいオッサンがおるでー。貞末さん、今度ゆっくり友人と3人で食事でもしませんか…」
次の食事に伴われたのが、かの有名なカンブリア宮殿のプロデューサーさんであった。

そんなことも知らずに、わいわい大酒飲んで談論風発であった。
単純にこの人達とのお酒は格別であった。

呑気なもので、後で判ったのだが、私は番組出演に耐え得るかテストされていたのであった。

収録は2009年11月3日。
約一年前に、出演打診である。
テレビ嫌いの私でも、この番組の事は知っている。
滅相もない、番組を冒涜するものだ。
私にはそんな中味も、風格もない。
会う度にお断りして、9ヶ月間も過ぎた。
ディレクターさんは昇格して、番組は次の方に移った。

プロデューサーさんがディレクターさんを連れてこられた。だが私とは面識もなく、挨拶だけだけだったので、一件落着、よかったよかったとある種のプレッシャーから解放され、ほっとしたが、それが束の間であった。
それは2009年8月初めの事である。

8月18日新彊綿の仕入れに中国寧波に飛び立つ事に成った。
これで完全開放と思ったが、なんとその日成田には、2人のスタッフが、私の出張に同行すると待ち構えていたのである。
挨拶そこそこに、カメラが回り始めた。
それから、上海―寧波と丸2日間合計10時間もカメラの集中撮影である。

車中、仕入先訪問含めて、8~10時間も、喋っただろうか。
もう覚悟を決めて、テレビ出演するしかない。観念したものでした。

そして11月3日がやって来た。スタジオ収録だ。
予想したが、番組に関する打合せは何もない。
不安であったが、私からは、どうする事も出来ない。
13時4分スタート。
30分前にスタジオ入りして欲しい。
それでも約1時間前にスタジオ入りした。
見学に私の会社のスタッフも大勢集まっている。

ペットボトルのお茶一本。スタジオの控室。殺風景な室で何もない。
椅子とテーブル、外には河が見える。
待つ事30分、ドアがノックされた。

漸く打合せが始まると思ったが、化粧係りのオバさまで、「どうぞ、お化粧いたします」。
これで男前に化粧してもらえると思ったが、「テレビカメラ5台、強いライトが当るので顔に反射止めのパフを致します」。

エー、それで終わりなの?
ポンポンとパフを当ててもらい、OK。
5分で室に戻る。又一人で待つ。
何だか死刑の執行を待っているような心境になって来る。

5分前、村上龍さん、小池栄子さん、ドアノックと同時に入室、やっぱり少しの打合せをするのだ。

小池さん「貞末さん、本日はよろしくお願いします」。
村上さん「これは私の著書です」とサイン入りの3冊の本を戴く。
それでは、と一瞬で退室される。
ポカンである。
4分前、係の人が、それでは収録が始まりますと例の階段に導かれる事になった。
「絞首刑の階段だな」なんて少し緊張する。

カンブリア宮殿秘話(2)へつづく