私の様な俗人が、まじめな課題に取り組むのは、いささか恥ずかしい気がする上に
そんな資格があるのか?と思われても仕方のないことなのであるが。

37歳のときである。私が勤めていた会社(1800人の従業員・年商400億円)が倒産した。
予想されたことであったが、他に例をみないこのユニークなFASHION産業は、たとえ経営が困難になったとしても、どこからか救済の手が伸びくると、楽観的な見方もあった。
しかし、1978年4月6日、紛れもなく倒産した。

その後3~4か月、後輩たちの再就職に奔走したが、自分自身のことは最後になってしまった。どこかで拾ってくれる企業があるかもしれない。と考えたが、いつまで経っても声は掛からない。生活を支えなければならない。妻と子供3人、5人家族である。

なにもなければ、包丁研ぎでもやるか?研ぎには、子供の頃、母の料理食堂の手伝いで少しは経験もある。しかし、それで一家5人の生計が・・・?
母がラーメン屋からスタートして料理店をやっている。私も、ラーメン屋から始めてみるか?と思い母に打診。にべもなく断られてしまった。ラーメン屋は60才からなら応援もする。貴殿は37才、もっと世のため、人のために働きなさい。

万策尽きてしまった。12年もVANに努め、それなりの実績を残したつもりであった。
あまりにも猛烈社員でありすぎたのか?私を快く迎えてくれる業界の会社はなかったのだ。しかし、なんとか生き延びなければならない。

一通の手紙がきた。
ヘッドハンティングされる様な大物でもない。
人材銀行というのだろうか?人材紹介の会社からである。

物流の心得があるので、ヨーカ堂の物流センターはどうか?
入社には、当時の伊藤社長の面接が必要で、一か月後である。
もうひとつは、当時、世界に飛躍するスーパーヤオハンであった。
土地購入のローンもあり、銀行からは、一日も早く収入の確定を促された。

ヤオハンの和田社長は即面接可能。
静岡県の三島市が本部である。都落ちだ、少々寂しい。しかし、そんなことは言っていられない。とにかく収入をゲットすることが急務。
役員面接8人中7人には不合格。こんな生意気な奴!と思われた様である。
(後に知ったことだが、役員に口応えすることなど、100%不可の社風であった)
最後の和田社長面接では
「貞末さん、私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。だから、私はあなたを採用したいと思います。そんな人が私はほしかった。しかし、貞末さん、規律乱すことなく、和を大切にしてください。」

次に社長のお母様、和田かつさん(おしんのモデルに成ったひと)に会うと、
「貞末さん、あなたはきかん気な顔をしている。仕事も良くやってくれるだろう。しかし、会社のTOPは和田和夫だ。それを大切にして、和田和夫を助けてほしい。」

最後は副社長である和夫社長の弟。
「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。
しかし反論は1週間まってやってくれないか?」

これで晴れて入社。首はつながったのだ。
しかし、これで終わりではなかった。河口湖の練成道場で10日間勉強してほしい。
そのレポート提出で入社が決定される。
谷口雅春という方が、悟りを開き広めた生長の家道場であった。

やれやれ、宗教は大嫌いときている。
道場の門をくぐり、入口に立つ3人の女性がいきなり手をあわせ「ありがとうございます」
私はまだ何もしていない。感謝される覚えはない。戸惑ってしまう。

いきなり、教材15,000円の購入が決められている。
10日分の食券30食。A3の大きさで切り取り線が入っている。
これを全部使わなければならない。気の遠くなる様な量だ。
部屋は1階奥の6号室、誰も案内してくれない。
部屋を探しながら廊下をあるく。すれ違う人たちが皆、私に挨拶する。
皆が皆、手を合わせ「ありがとうございます」
何なのだ。狂人の世界に迷い込んだのか?
それにしても、皆、もの静かできれいな佇まいだ。

部屋に入っても誰もいない。6人部屋と聞いた。所在なく座っていると、
部屋の拡声機から何やら人の話し声が聞こえてくる。講堂があるらしい。
近づいてみると驚いたことに約300人もの人が講義を聞いている。
語り手は姑を殺して刑期を終えた50才くらいの女性であった。
凄まじい反省と後悔、腸が捻じれるような号泣、刑は終えたが、私は許されるべきてはない。何故あの様な恐ろしい事をやってしまったのか?
人を殺してまで自分は楽になりたかったのか?何故、私に堪える力、どんな小さな事でも姑に感謝の気持ちが持てなかったのか?全部が全部、何故否定してしまったのか。
地獄に落ちたが救われたい。すべてを皆の前で懺悔して許されたい。

私は茫然として立ち竦んでしまった。
次は、ガンに侵され余命1カ月位の老人の話であった。
あと1カ月、自分の人生、その犯してきた罪の深さ。人は殺さなかったが、私は許されるべき人間ではない。この道場で生のある限り、償いの日々を送りたい。この様な主旨であった。300人の方々が何らかの理由で、罪の意識から解放されて救われたい。懺悔して救われたいと思っているのであった。多くの重病の方々も最後の救いを求めていた。

私は37才で会社が倒産し、無一文、一からやり直しの人生。しかし、兄弟は何事もなく裕福に暮らしている。私の様な不幸な運命は他に無いだろうと今まで思っていたが、何という光景であろうか?私の不幸などというものは、とるに足らないことではないか。
私の心も体も健康だ。妻や子供たちも健康だ。これに勝る幸せがどこにあるのだろうか?私は幸せなのだ。

道場での話は一旦筆を置いて。感謝についてである。

ありがとうの言葉の裏に感謝がある。会社を設立し、電話一本、机一つでスタートする。
誰からも何日も電話一本もかかってこない。SMRオフィス、経験を生かしてコンサルの仕事もやろう!しかし、電話はいつまでも鳴らない。
4~5日経っただろうか?電話が鳴った。思わず電話に飛びついた。
有難う、電話下さって。電話一本が砂漠のオアシスの様なものだ。有難い、感謝感謝だ。

当たり前のことと思いがちであるが、考えてみれば私たちの周りには、感謝に値することがあふれている。何事にも感謝出来ることを探し、感謝する練習を始めることだ。
そうすれば、沢山の感謝を発見するスキルが上達する。
こんなにたくさんの感謝を探し出すことが出来れば、不平や不満、相対的に比重が下がってくる。感謝できれば、それは幸せに通じている。感謝出来れば「ありがとう」が自然に声になる。

人生には、嫌なことや自分に失望することも多くある。
又、それによって、希望を失ってしまったりする。
そして、自分の不幸の比重が増加する。そんな時こそ、周りに満ち溢れるだけある感謝すべきこと、自分が健康であること。親兄弟が健在であること、友に恵まれていること、
優しい自分を失っていないこと、未だ私は生きていること、生かされていること、そんな沢山の感謝出来ることに囲まれている。
それを、練習を重ねて探し出し素晴らしい健全な精神を養うことである。

“感謝の練習”
こんな考えてもいなかったことも、練習があなたを救ってくれると確信している。

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