ボタンダウンシャツは、シャツの世界では特別な存在である。

私が働いたVAN JACKET(株)の1966年から1978年、この会社のドレスシャツの売り上げの80%はボタンダウンシャツ(以下B.D.シャツ)であった。
私にはこれが当たり前であったのだが、VAN が倒産して外の会社で働くことになった私は思い知らされた。B.D.シャツはシャツ業界では殆ど生産されておらず、しかも、紳士シャツ売り場では“売れないシャツ”の代名詞であった。

私は古いB.D.シャツを繰り返し洗濯して着用していた。
ある時、銀座でSHIPSさんがUSA MADEのB.D.シャツを販売していた。こんなに素敵なお店があるのかと、嬉しいと同時にVANのIVY LOOKを継承しているセンスの良さに感動した。
その反面、デパートのシャツ売り場にはB.D.シャツは無かった。あったとしても見様見真似でシャツ襟にボタンを付けただけのもので、襟のロールに配慮がなく、勿論購入の意思も無かった。
誰もB.D.シャツを知らないのだ。

SHIPSさんは凄い勢いで若者の心を掴んでいった。VAN の卒業生でないブランドが、こんなところで、IVY精神を土台に品揃えを完成させていたのだ。もしかしたらIVY は不滅かもしれない、思い出したくないVAN 時代であったが、気品の漂うIVY STYLEは忘れがたいものであった。

VANを離れて15年。
ある時石津謙介先生に「日本人が国際化社会に挑戦する時代だが、誰が彼らを応援するのだ。日本の負けている生活スタイルの中で、歴史を持たない洋服こそ、自己表現のメディアとしての誰かが伝道師にならねばならぬ。」とお叱りを戴いた。同時に、私は先生にシャツ屋開業を誓った。

かつてVANの愛好家は全国に60万人以上いたはずだ。そして、彼らの殆どはB.D.シャツの愛好家でもあった。例のB.D.を復活させれば、全国のB.D.シャツ愛好家を顧客にすることができるのではないか?

鎌倉シャツの誕生も、New York進出も、摩訶不思議なB.D.シャツの秘める力に助けられたのです。

鎌倉シャツ会長「貞末良雄のファッションコラム」アーカイブ
https://www.shirt.co.jp/column/list/

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