Maker's shirt 鎌倉

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Coming Soon (New Version)『それを Manhattan Model と呼びます』


私たちが目指した、世界基準はナポリの職人技によるハンドメイドシャツである。
手縫いによる職人の技術が作り上げた傑作であり、その価格は数万円と最高の価格である。
限りなくそのレベルに近づき、ミシンによる縫製を可能にして、私たちのお客様に手の届く価格が課題であった。
当然ではあるが、それこそが鎌倉シャツの物づくりであり、商品が皆さまに語りかける物でなければなりません。

2012年それは、New York 進出に始まります。
日本人が西欧のシャツをつくり、西欧人に認めてもらい購入していただけることです。
幸いに私たちは『IVY LOOK』に関する経験と知識がありました。
「日本人には無理だ。」と言われましたが、私たちの物づくりと、アメリカ文化に対する蓄積は、開店と同時に大きな関心を集めました。
何故なら、もはやアメリカには、Made in USA のシャツは稀で、中国製・ヴェトナム製以外に購入の選択肢がなかったのです。
彼らは、私に「本当に日本製ですか?」と何度も念を押しました。
「これだけのシャツがこの価格!」驚きと尊敬を集めました。
そして「よく来てくれた。」と、彼らの応援が始まりました。
「どうか継続して欲しい、決して撤退しないでください」と。
流石に歴史ある、彼らの洋服に対する知識・見識は、想像を絶するものでした。
彼らは私たちに、本当に彼らが望むシャツは、こうあるべき、こうして欲しい、ありとあらゆるリクエストを頂きました。
世界最高レベル、そこに到達するべく、彼らの忠告・希望を叶えるべく、私たちの挑戦がスタートしたのです。

4年の歳月が流れました。
彼らにもまして、日本のこだわりのあるお客様にも、満足して頂ける商品が完成しました。
その商品グループに Manhattan Model (マンハッタンモデル)と命名し、一部の店から2016年12月より販売を始めます。
着てみればわかります。
それ以上の説明はできません。
製造・縫製の技術は難度の高いものです。
協力全工場で一斉に製作はできません。
段階的に販売を開始いたします。
ご期待ください。
(価格は5,900円(税抜)、USA $89 を予定しております)

Coming Soon (新しいシャツの誕生)


世界基準へのVersion UP

創業して20年、念願の New York 進出を実現した。
勉強も充分したつもりでの New York である。

日本人が西洋の文化の結晶である、紳士服ワードローブの中でも最も重要なシャツを、アメリカの一等地、New York Madison で販売するのである。
そこは、世界の著名なシャツメーカーが、凌ぎを削っていた。
この地で名声を博したら、第一関門は合格と言える。
3年間で1万人を越える顧客名簿の獲得、Yelp(*) 検索では 5 stars の評価を戴き、順調に Made in Japan、それに加え社員のサービスの徹底が多くのフアンを創り出した。

想像を絶するお洒落なお客様。
こんなにもシャツの好きな、知識豊富なお客様に巡り会えた。
幸運を次に生かしたい。

沢山のアドバイスを戴いた。
襟型、袖ぐりのたわみ、全体を包むホルム、ポケット、上着とシャツのハーモニー。
ジャケットの袖から見えるカフスの角度。
より上品でエレガントなシャツ、こよなく紳士の佇まいを引き出してくれる、そんな、世界のどのメーカーよりも進化したシャツを創りださねばならない。

挑戦が始まった。

先ず設計図である。
シャツは構造物であり、人体を包み込む構造物は平面図から始まる。
人体は丸みを帯びた角の無い構造物である。
平面の設計図から人体を包み込む。
立体構造は、縫製の技に負うところが多い。
精密な設計図と工場の製造技術の調和なくして、世界を唸らせる製品の誕生は到底実現しない。

世界的巨匠と言われる設計者に我々の思いを伝え、工場の技術者との格闘の末、ここまでやれるのかと言われるような、新たな Version が誕生した。
工場の作業工程は難度の高いハードルを越えて頂いた。
日本の匠の技が結集したのである。

販売価格は5,900円(税抜)以内、驚愕の価格を実現させたいと努力しているところである。
このようにして、私たちのお客様に今以上の感動をお届けする日がそう遠くない事をおしらせしたい。

*Yelp:世界30カ国(約1億4200万人のユーザー)で展開されている口コミサイト

一本の電話


鎌倉シャツを立ち上げ、店を開店した。
工場と店があればよい、その他の機能は購入されるお客様には、関係のない費用である。
中間マージンを省き それをお客様に還元すれば、お客様は喜んでくださるに違いない。
お客様が価値ある品質で、しかもこんなにお買い得な価格、驚いて顎が外れるくらいの、驚愕の商品、それが実現できれば、起業は間違いなく成功する。

家に籠って仕様書を作成し、設計図・パターンをその道の匠にお願いする。
鎌倉の家からではとても時間的な制約が多い。
都内に事務所を借りることにした。
しかし、この費用は製品の原価に反映してはお客様の利益に反する。
事務所費用を長年培ったアパレルの世界の経験を生かして、コンサルタントとして稼ぎ出そう。
サダマーチャンダイジングの誕生である。

事務所の半分は加茂市にある有名なニッターさんの東京事務所としてお願いして、費用を半分に節約することが出来た。
20坪の事務所にデスク一個、電話一本である。
出来る限りの知人友人関係会社に開業を知らせた。
毎日電話を待つ日が続いた。
しかし、待てど暮らせど電話はかからなかった。
こんなに電話を待った事は、経験がなかった。こんなに電話ってかかってこないものか。
自分の今までのキャリアは何だったのだろうか?

自信を喪失する10日を過ぎたころ、一本の電話が鳴り響いた。
電話に飛びつき、出た言葉は、ただ「有難うございます。」、本当に有り難かったのです。
救われたのです。感謝、感謝でした。
鎌倉シャツは此の大切さ、感謝の気持を、いつまでも忘れない。
こんな意味を込めて、社員は電話コールを2度まで待たせない、有難う電話を続けている。

友人の一人が、大学の講義で、サービスの第一歩は電話で始まる。
その会社の良し悪しは、その会社の電話対応であると講義している。
世界最高の電話対応は、鎌倉シャツであると。
生徒に「試しに電話してみなさい」、この会社は必ず2度以上のコールはさせないと。

顧客創造


鎌倉シャツを立ち上げたときに考えた事。

小さなコンビニの2階で店を始めた、当然売れないのは当たり前である。
しかし誰か一人でも買ってくれたら、その方はきっと自慢するだろう。
百貨店や専門店で買えば、恐らく12,000円から15,000円するであろう商品を4,900円で販売するのだから。
お買い得で誰かに自慢したくなる、と考えた。
勿論自分でも欲しくなる値段と商品のグレードである。
美味しくて安いお店は、どんな裏筋の狭い店でもお客は訪ねて行くものであることは、食いしん坊の私にはわかっていた。
コンビニの2階でも、必ず商品を判っている人は訪ねてくる、買ってくださる。
1人が2人になる、2人が4人になり、8人になり、16人に32人、64人、128人、256人、このようにいつの日か大勢のお客様で溢れるお店になるだろう。

お金がないから、宣伝費はない、お客様に喜ばれる事が大切で、宣伝費があるのならば、そのお金を使ってもっと良いシャツを作ろう、そのほうがお客様にとって有り難い事にちがいないからだ。
売り上げを幾らにしようか?どれだけ売れば良いのか?しかし目標を決めても、それを実現する方法は見つからない。
さればどうするか?出来ることは 親切に正直に笑顔で心からおもてなしが出来る事だ。
その心がお客様に伝わり、ファンが生まれ、お客様の数を増やす事になる。
これならば誰でもやろうと思えば出来る、売り上げを上げる手段は見つからないが、お客の数を1日1人増やすことができれば、その店は大勢のお客様に恵まれる日が、必ずやってくる。

サービスは大企業も小さなお店でも、平等に行使できる。
大企業のサービスが絶対に強いという事はない、皆平等だ。
雑誌「Hanako」に掲載という幸運もあったが、基本的にはこのようにして、お客様を創りあげたのでした。

4,900円の値段はこの品質でこの値段はお客様が驚いて顎が外れる値段であった。
買わなければ損をする、そんな気持ちになってしまう、品質と価格設定をした。
値段は仕入れ価格とは関係はない、その値段がお客様に納得していただけるかどうかだ。
値段は小売業の責任で決定権を持たねばならない。
シャツを創るためにかかる費用は、一店舗の力では所詮他の大手の会社の資金力に勝てる訳もない。
だからと言って、私たちには力がありません、仕入値段が高いのですから、これに自分の利益を上乗せした金額で販売したとして、お客様が可愛そうだからと言って高い価格を認めてくれるだろうか?
これは絶対にありえない。
お客様にとっては、その店が幾らで仕入れているかなどは、関係がないのである。
お客様は単純に値段に反応するのです。

自分にもっと力があればもっと割安な仕入れが出来る、と思ったがそれは、望むべくもないのでした。
お客様が買って下さらなければ、シャツは売れない、当たり前である。
自分の力のなさをお客様に負担して貰うなど、できないのだから、利益がでなくてもお客様が喜んで買って下さることが重要で、買って下さる顧客の増加が、やがてお客様から、利益の一部を戴ける日が来ると考え、頑張ることしか、当時の私たちにはありませんでした。
真の商人になって見せる、その理想を掲げ正しい商取引、買い手が何時も有利という、売り手を苛める、そんな業界の悪しき習慣を経験して、私こそはと創業当時決意したのです。

柳井の天神祭り~思いは通ず~


子供の頃、祭は田舎町で一大行事であった。
12年振りに私の住む柳井町に大名行列の当番がやってくる。
町を挙げて準備が始まっていた。(1951年11才 私は小学校五年生だった)
毎年観る行列は、強烈な印象があった。
馬に乗った大名、それに続く太刀持ち(たちもち)、若党の集団。
私は太刀持ちの持っている太刀に憧れていた。
天神祭りに私もあの太刀を持って、町内を練り歩きたい。
塚本和子ちゃんや、桧垣さん(美人)や、友人皆に見てもらいたい。
学校が終わるとすぐに町を仕切る林染料店に行き、林さんに「私に太刀持ちをやらせてほしい」と懇願したが、全く取り合ってもらえない。
家の縁側に腰掛け座り込む。3時間も座り込んだだろうか?やがて夕食の時間になり、食卓に夕食が用意されはじめた。
町一番のお金持ちだけあって、その食事の豪華なことにびっくりする。
これ以上座っていると、夕食にありつきたいと思われてしまうので、諦めて家に帰った。

次の日も、次の日も、同じ様に座り込んだが、全く相手にしてもらえない。
一週間も毎日座り込んだだろうか?ついに林さんが母を訪ねてきた。
林さん曰く
「奥さん、困っているのだよ。あんたの息子が毎日、私の家に座り込んで太刀持ちをやらせろとせがむんじゃ。こう言っては悪いが、太刀持ちをやれるのは、金持ちの身分しかやれないことで、あんたの家ではとても無理。息子を説得してくれんか?若党の役でよいのではないか?」
(若党はその他大勢でこれだけはやりたくない・・・)
母は、戦前裕福であった頃を思い、この屈辱に耐えられなかった。戦争で全てを失っていた。
「林さん、それでは、いか程の寄付をすれば、太刀持ちをやらせてもらえますか?」
母は、嫁入りの着物、指輪、全てを売り払った。
そんな事があったとは、後に判った事であったが、晴れて、私は太刀持ちの大任を得ることになった。
夜8時から新市町にある天神様で参拝の練習である。
毎夜、母の付添いで練習をした。私は得意満面である。
やりたい!やってみせる!執念は実った。
その陰で母の強い愛情に支えられていたのであった。

柳井の天神祭り~思いは通ず~

私達家族9人の生活は、広島で商売をしている父からの毎月の仕送りで賄っていた。
仕送りが遅れたり、途絶えたりと、母の苦労は絶えなかったのである。
やがて父に愛人が出来た。母の哀しい表情は忘れられない。母を助けたい。子供心にそんなことを思っていた。

母は自立する決意をする。
“小さな食堂をやろう!”
広島で小政という評判のラーメン屋に父が服を売って、貸し付けた支払が滞っていた。
その借金のかたに料理を教えてくれたら借金を棒引きするという約束で、コックさんが柳井にやってきた。
家中大騒ぎであった。ラーメン屋は家の玄関を取り壊して新しく食堂にすることになった。
15席くらいの小さな食堂の計画であったが、なんせ一銭のお金もない状態である。
無謀な決断であった。
知人の大工、木村さんは、材料さえあれば、出世払いで作ってあげると約束してくれたが、材木が必要だ。
夏の夜、母は、私に一緒に行ってくれと、2里近くある川の上流の材木屋を訪れることに成った。道すがら、お前は守り神だからと。
材木屋は浴衣姿で上機嫌で迎えてくれたが、母が「お金が無いのですが、必ず支払うので、一時材木を貸してほしい。」とお願いすると、ご主人は「いくらなんでも見も知らぬ方が、突然訪れてきて貸してくれと言われても、それは無理ですよ。」福よかな赤ら顔も困惑の表情であった。
その時、奥様が冷たい麦茶を運んでこられ、話を聞いていたらしく、「お父さん、この山一杯の材木を持っていて、この方にお貸しすることは、何でもないことではないですか?見れば、子供さんを連れてこられ、人をだます様な方には思えないではないですか。貸してあげてください。」
この一言で、無事、小さなラーメン店が開業した。
母曰く「小さなお前がどうしても太刀持ちをしたいとその思いを遂げた。懸命に参拝を練習するお前を見て、母の私がその不幸を悲しんでばかりいてどうなるだろうか?お前に導かれて、私も決意をした。」
母の強い思いが実現した瞬間であった。
その後、やがて大きな料理店となり、母は父を凌ぐ商いを実現した。

思いは実現する。
私の生涯を決定づけた経験であった。

スーツは戦うための服装だ


スーツは鎧だ。甲冑だ
 
スーツ姿というのは、ビジネスという戦場で着る、戦いのための服装です。いわば、鎧(よろい)、甲冑(かっちゅう)のようなもの。体にぴったりとあうスーツをまとい、ネクタイをきりりと締めて、緊張感を作り出し、自分を奮い立たせるものなのです。中にはリラックスできるからと、ゆったりめのスーツを好む人もいるようですが、緊張感なくしてリラックスなどありえません。
 
そして鎧や甲冑というのは機能性だけではなく、洋の東西を問わず、見た目にも気を使っていた。ある時は威嚇し、ある時は思わず目を奪われるような鮮やかな姿で、相手を精神的に圧倒したわけです。
 
現代の戦い、すなわちビジネスにも同じことが言えます。対人コミュニケーションにおいて、ノン・バーバル(言語以外の)情報が、言葉よりはるかに多くのことを伝えている、ということをよく認識したほうがいいでしょう。話す人の服装というのも重要な情報です。それを意識することで自信が生まれ、さらにプラスの効果を生み出します。お互いの利害関係を調整する交渉の場であればなおさらです。
 
服装より中身だ、という人もいるかも知れません。ですが、グローバルにビジネスを展開しようとしたら、そんな悠長なことは言っていられません。1回の会議やプレゼンテーションでYES、NOの結論がほぼ出てしまう事は珍しくない。服装を軽視しては、成功は望めないでしょう。欧米の人は特に服装を良く見ているし、話題にもします。それは、相手が自分と共通の目的を理解できる人間なのか、そうではないのか、服装から読み取ろうとしているのです。
 
スーツ姿は、セクシーだ
 
スーツを着こなしてビジネスに取り組む姿が、実は非常にセクシーなものであるということを、どれほどの日本人が理解しているでしょうか。英国で生まれ、長い年月をかけて育まれてきたスーツには、男性をいかに美しく見せるか、という叡智が詰め込まれています。そして、それが戦いに臨む服装であるということが、そこにセクシーさを加えるのです。死への一里塚に立った戦士が、あでやかな甲冑を身にまとう。それは究極のダンディズムであり、男女を問わず、人をひき付けてやみません。
 
スーツを買うことは自分への投資だ
 
戦いの服であるスーツやシャツを選ぶのを、人任せにしてしまうのはいただけません。自分に似合うもの、自分を強く、魅力的に見せてくれるものはどういう服装なのか、自分なりによく考えてみることです。そうすることで、自分の外面的な体型だけでなく、内面的な部分までを見直すいいきっかけになります。「こういう服を着こなすためには、自分のこういうところをもっと磨かなくてはだめだな」と思う事もきっとあるでしょう。また、まわりの人に自分はどういう服が似合うか、と尋ねれば、他人が自分をどのように見ているかがよく分かります。そこから学ぶことも多いでしょう。さらに購入するときには、お店の人など、詳しい人間の意見もよく聞く。こうして、服装を整えながら、自分も磨き上げていくわけです。
 
言ってみれば、スーツやシャツ、ネクタイなどをそろえ、着こなし、また自ら手入れをすることは、自分への投資。自己研さんとして考えると、本をたくさん買い込んで勉強したり、学校に通って技能をみにつけたりすることに比べれば、ずっと手軽ですし、楽しいものです。ぴんとこない、という人は、とりあえずシャツとネクタイだけでも工夫してコーディネートしてみるといい。それなら1万円程度で済みますが、おそらくそれだけでも、同僚や友人から「おっ、いいね」という声が返ってくるはず。その快感を味わったら、きっと服装に対する意識が変わってきますよ。
 
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メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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