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皆さまこんにちは!
昨年の5月に自由が丘お散歩ストーリーを急に思いついて始めたお散歩シリーズが、早いもので1年経ち、今回6回目のお散歩となりました。
以前に作った、英訳のニューヨークお散歩ストーリーをご覧になった顧客のニューヨーカーが、東京に出張に行くので、東京お散歩ストーリーをご希望くださいました。
そして…東京の真ん中にある丸ノ内ホテル渡邊社長が、弊社の会長貞末をとても懇意にしてくださっていますのでそのご縁でホテルも登場します。
又、丸ノ内ホテルスタッフの方々の制服を弊社が一新させて頂きました。

東京といいましても広いので今回は日本の中心、皇居をお散歩しました。
日本人の私ですが、皇居のそばを車で通りながらチラッと見るだけで、中に、といってもお濠の外のお庭さえ入ったことがありません。そんなに遠くない鎌倉に住んでいますのに我ながら呆れたものです。

60年代初期のころ、地方の人々が集団就職で東京にやってきました。そのような時代に「東京だよ、おっかさん」という島倉千代子さんのヒット曲がありました。

久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん ここがここが二重橋
記念の写真を とりましょうね

やさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん あれがあれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも

(作詞:野村俊夫)

地方から出てきて少し余裕ができた娘が、地方の母親を東京に招き、皇居に連れて行きしみじみと歌ったのだと思います。特に戦争で兄をなくしたその切なさ悲しさが身に沁みます。母への想い、兄への想いが溢れています。
昔も今も皇居は、日本人の心の糧なのですね。

丸の内丸ビル店

今日は朝から曇り空、4時から雨が降るからそれまでに終えるようにと、娘のメールを見ながらお散歩を始めました。
いつもの相棒、のっぽのヤスと11時に弊社丸ビル店で待ち合わせ。
珍しいことに10時には二人とも集合していました。
丸ビル店はまだ開店前なのに図図しくも店に押し入ってパチリ。
狭い店なので倉庫に入りきらないシャツが店内にあります。
まずそれを片付けて掃除に集中。

さてと、お散歩に行きましょう。のっぽのヤスも笑顔でLet’go!

▲綺麗どころの松岡と底抜けに明るい坂本と記念写真です。


▲レジ廻りを綺麗にして、そしてシャツ棚のシャツがビシッと揃ってきます。頑張ってね!


▲坂本が明るい笑顔でせっせと働いています。

東京駅


▲この石には東京駅と彫っています。とても重そうです。

東京駅の中心。今までこんなに立派な駅だとは思いませんでした。 東京駅の前で中国女子3人組にバッタリ出会い、というより初めてお会いしたのですが… 一緒に写真撮りませんか…と、お誘いしたら喜んでくださってパチリ! 合計女子4人組となりました。すっかり親しくなってしまいました。

お散歩が終わり、さてこれからコメント書くぞ!と、張り切ったときに、下段の記事を読んでとても惹かれました。広い皇居の外のお庭には、たくさんの外国の人々がいらっしゃいました。
普通の日本人の私は、普通の外国人に写真を通して話しかけ親しくなりました。


2017年4月24日読売新聞「編集手帳」の記事より
大きなくしゃみを交差点でしたことがある。確か今ごろの米ニューヨークの繁華街だった。
「ブレス・ユー(お大事に)」という声に顔を上げると、ちょうど前を通る車の後席の窓から高校生らしい女の子がほほ笑んでいた。こちらも「サンキュー」と返した一瞬のやりとりは、今も忘れられない米国の思い出だ。…全国各地で観光戦略作りを担う法人の設立も制度開始1年を経て着々と進む。地域の企業や団体が連携して、お客の呼び込みに知恵を出し合う。
でも「おもてなし」と肩に力を入れるばかりなくていい。道に迷っている人への声かけや
多くの荷物を抱えた旅人へのちょっとした気遣いが、旅の大きな印象を残すこともある。
普通の人たちとの普通のふれあいも、旅の醍醐味だ。


▲丸ビル

外からパチリ!今年秋、15周年を迎える丸ビルです。
このビルが出来る前、丸の内界隈は、単に殺風景なビジネス街でありました。
それが、この丸ビルが出来上がり、すっかり明るく華やかに変貌しました。
鎌倉シャツがこのビルにオープンしたときは、嬉しくて飛び上がりました。

▲新丸ビル

その後数年してすぐそばに新丸ビルが出来上がりました。

▲行幸通り(ぎょうこうどおり、みゆきどおり)

皇居から東京駅へ続く広い広い道路です。
天皇陛下が行幸(外出)するために利用する道路として、行幸通りと呼ばれています。綺麗な道路ですね。
中央車線は歩道兼馬車道として交通開放されていますが、行幸や車馬が通行する時だけは専用道として一般歩行者の通行が制限されます。

和田倉濠

▲左がパレスホテル、右は日本生命 二つの高いビルがお濠を見渡しています。

▲あっ、お嫁さんがいる!

和田倉噴水公園は昭和36年に天皇皇后両陛下ご成婚を記念して作られました。
あのご成婚式当時、ミッチーと皇后陛下をお呼びして国民が熱狂したことを子供ながらによく覚えています。皆、皇后陛下の美しさにウットリしました。
その後、平成7年に皇太子殿下のご成婚を記念して、大噴水を再整備し、新しく造られた落水施設やモ二ュメン卜を流水施設で結んでいます。


▲レストランに行く道でパチリ。空腹に耐えています。

トコトコとのっぽのヤスと歩いてきたのでちょっとくたびれました。
そしたらこの看板に出会いヤッホー!!!
清潔で素敵な無料休憩所です。皆様、ゆったりくつろいでいます。
ぜひ、皆様もお出かけください。お天気の良い日のくつろぎはとても幸せな気分になりますよ。


▲外から見た和田倉噴水公園レストランです。外から見ると屋根がカーブして近代的なレストランです。又、来なくちゃ。

無料休憩所の隣にあるパレスホテルが経営しているレストランです。
たくさんの女性がお友達とおしゃべりしながらビュッフェのランチを楽しんでいます。
私たちもお腹がすいたので、2,800円のランチを頂きました。ちょっと贅沢してしまいました。とても美味しいですよ。
近頃、女性が集まるホテルのランチが話題になっていますが、ここも例外なく女性が多くて、男性は遠慮がちに隅のほうに追いやられているようです。

大手門



▲大手門の前でパチリ!お姫様に変身したいと思いましたよ。

旧江戸城の正門で、大名はここから登城していたそうです。
この江戸城のずっと奥に大奥があって何千人もの女性がお住まいになっていたのですね。
東映映画を思い出しました。春日局もいらしたのかな?
5人のファミリーが写真を撮っていたので、皆様の写真を撮りましょうか?と、話しかけたらとても喜んでくださいました。
そのあと、私にも「写真に入ってください」と、ご主人様に誘われ6人でパチリ。
再び、この家族に会うことはないかもしれません、でも、ほんわかとふれあったひとときでした。

▲白鳥とお濠が見事に調和しています。


▲由緒あるこのような所でのランニングは気持ちいいでしょうね~

桔梗門

桔梗門は皇居参観者や勤労奉仕者などが出入りする門で、「内桜田門」と呼ばれて いますが、昔この門の瓦に太田道灌の家紋が(桔梗)ついていたことから桔梗門と 呼ばれるようになったとも伝えられています。
桔梗門の前には二人のポリスがいらっしゃいました。
見かけによらずとても親切で色々、説明をしてくださいました。まさか、お話をしてくださるとは夢にも思いませんでした。

▲桔梗門とはちょっとそぐわないヤマト便が門から出てきました。 このような所でも日常があるのですね。

ここでも幸せそうな家族に出会いパチリ。
ロスアンジェルスからいらしたそうです。私、何だか奥様にピッタリ寄り添っています。 変ですね。

二重橋

本当に外国人のツーリストが多く、日本人はまばらです。皆、ホントに楽しそうです。

▲皇宮警察衛兵交代式

イギリスや台湾でこのような衛兵交代式を見たことがあるのですが、日本では初めてです。
姿勢がピンとしてカッコいいですね。
正門石橋。二重橋だと誤認されることがありますが、この石橋の奥にある正門鉄橋が「二重橋」です。
ただし、2つの橋の総称としても用いられています。
向こうにお城の屋根、緑と橋とお濠が何とも美しい風景ですね。
絵画グループのおじさま達、リタイアして週に2~3回、御堀端に一緒に絵を描きにいらっしゃるそうです。
いいですね~ゆったり趣味に生きるなんて!
ご一緒に写真撮ってくださいませんか? はい、いいですよ。 とても優しいお二人でした。

桜田門

桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にあります。
昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定されたそうです。
安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きました。
ずっと昔、NHK大河ドラマでこの桜田門外の変を見たことを思い出しました。とてもドラマティックでした。
井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあります。

▲警視庁本部

警視庁を桜田門と呼ぶこともあります。
ここに警視総監がいらっしゃるのかな?
逮捕されないように悪事はしてはいけませんよね!変なことつぶやきました。
(その他、永田町→首相官邸、霞ヶ関→官公庁、兜町→東京証券取引所)

▲米沢藩上杉家江戸藩邸跡

上杉謙信の養子、上杉景勝は、御館の乱を制し、上杉氏の惣領となり、豊臣秀吉に仕え、陸奥会津120万石を領しました。秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは石田三成ら西軍に付きました。
戦後に家康から罪を許されて出羽米沢(30万石減封となり、1664年(寛文4年)に継嗣問題でさらに15万石に減封されましたが、家格は国主とされました。
財政難に陥り、一時は領地を返上することまで検討しましたが、第9代藩主上杉治憲による改革によって藩政を建て直し、幕末まで存続したのであります。上杉家は代々、したたかですね。

▲法務省 赤れんが棟

明治21年に着工され、同28年に竣工。昭和20年の戦災によりれんが壁とれんが床を残して消失しました。
平成3年に復原改修工事が始められ、平成6年に創建当時の姿に復原されました。
なお、赤れんが棟の外観は,平成6年12月に国の重要文化財に指定されています。

▲三菱一号館美術館

建物は、三菱が1894年に建設した「三菱一号館」を復元したものです。とても素敵な風情です。
ひょんなことから今まで来たことない皇居のそばにある、立派な建物や門、を見ることが出来ました。そこには楽しいこと、悲しい事、驚くことがいっぱいありました。
小さなこの国には、ストーリーが限りなくあったのです。
私たちはこの遺産を大事にして次の世代に繋げて行かなければと、思いました。
さて、今日はお散歩2日目、4月18日のっぽのヤス、何だか今日は張り切っています。

丸ノ内ホテル

今日は、東京の真ん中にあるクラシックで由緒あるホテル、丸ノ内ホテルを訪ねました。
スタッフの皆様にお会いしましたが、皆さま、凛として笑顔で感じのよい方たちでした。
おもてなしとはこういう事と思いました。

▲美しい光のロビーです。


▲ロビーから見た中庭です。


▲シンプルですてきなお部屋。


▲ホテルの窓からNice view.


▲綺麗なレストランのマネージャーと。抜群のスタイルでユニフォームを着こなしていらっしゃいます。


▲いつも笑顔を絶やさずおもてなしに励むレストランスタッフです。

丸ノ内ホテルの渡邊社長です。とてもダンディでお洒落な方です。
手前味噌?ですが、すべて上から下まで鎌倉シャツをお召し頂いています。
宣伝をしてしまいました。すいません!

▲弊社作成のユニフォームで、スタッフとパチリ。


▲この方たちは清掃に賭けています。やるぞって。私もやるぞ!


▲アシスタント ディレクターの柴田さん なかなかダンディですね。

丸ノ内ホテル
住所:〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-6-3
TEL:03-3217-1111(代表)
開業: 1924年10月
構造:9階~9フロア 全205室
https://www.marunouchi-hotel.co.jp/

再び丸の内店へ

最後に又、丸ビル店へ戻りました。

▲まだ初々しくて可愛い、4月入社の新田です。


▲華という名前のとおり、華やかです。


真剣な表情で朝礼をしています。 坂本の説明は私が言うのもなんですがとても立派です。隣の庄子はアイビースタイルのお洒落スタッフです。
4月、丸ビル店から新宿小田急エース店に異動しました。
今日のスタッフ勢ぞろい。お休みスタッフは4人で、アルバイト2人、ホントはトータル11人です。
みんなでパチリ。手は何の印?でしょうか。今日もがんばるぞと意気揚々のスタッフです。ついでに私も。
店長村上が留守でご紹介できませんのが残念です。
メーカーズシャツ鎌倉 丸の内丸ビル店
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-4-1 丸ビル B1F
TEL 03-5220-3718
営業時間 平日・土11:00~21:00/日・祝11:00~20:00
ショップブログはこちら

最後に

先ほども丸ビルについて少しお話ししましたがが、この丸ビル店は15年経ち鎌倉シャツ全店の核となりました。
思えば弊社会長貞末は15年前、ちっぽけな会社ではあるけれど、東京の真ん中で商売したいと、それが最大の夢でした。その夢を毎日私に語っておりました。
そして夢に見た丸ビル店をオープンする事が出来、たくさんのお客様に可愛がっていただきました。
三菱地所さまは、まだ創業したばかりの鎌倉シャツをランドマークで育ててくださり、丸ビルで一段も二段も階段を上げてくださいました。
この御恩を忘れずに励んで参ります。

お客様へ…鎌倉のファミリーマート2階の店から、鎌倉シャツランドマーク店、それから丸ビル店といつも皆様に応援して頂きました。
そして鎌倉シャツは今年11月に25週年を迎えます。
この間、たくさんのことがありました。
でも、光陰矢の如し、時の経つのはあっというまでした。
皆様のお陰で鎌倉シャツはここまでやって来ることが出来ました。
心からお礼申し上げます。

お散歩Map

今回のお散歩ルートをご紹介いたします。