ツィードが好きで着ていた訳ではない。
服屋がすすめるのだからそんなものだろうと、疑うこともなく一張羅のセビロを
真夏以外の1年中着ていた、しかも同じコーディネートで。

ツィードとはどんな時に着る服なのかを学習するには数年かかった。
モノが分かるようになり、反動でツィード嫌悪性に陥り、見るのも嫌になった時期があった。
自分の金でツィードのジャケットを買ったのは1960年代後半、30才過ぎてからである。

ツィードの本当の良さが分かり、ツィード好きになったのは50才になるころだった。
ある程度年齢を重ねないと、あのやぼったさは分からない。
英和辞典で「TWEEDY」を引くと「ツィード(服)好きの。いつもツィードを着る」とある。

ツィーディーいい言葉だ。

そして最後にこうある。「服装に無とん着な」と。
これぞおしゃれの奥義ではないか、無とん着こそわがあこがれ、究極のおしゃれである。(おわり)