日本男性の70%~75%は自分で着る服を自分で購入しない、と言われている。

その証拠に、デパートや量販店では、その買い物は主婦に委ねられている。
他人が買って来てくれた服でも、少々サイズに違和感があっても、我慢する事は出来る。
しかしながら、靴だけは、サイズの合わないものを履くと、痛くて、我慢する事は稀であろう。
従って、どんな人でも、自分の靴は自分で買う事になる。商談や交渉に足元を見られ、譲歩を余儀なくされたり、相手の足元を見て、攻め立てる事が出来る。
足元は自分の強みでもあり、弱みでもあり、不安要因でもあるのです。
この足元は他人の所為にする事は出来ない。自分の足元は自分で固めなければならない。

ビジネスの世界でも、その他ソシアルな場面で、「くつ」の履き方が重要である事は理解されてきたと思う。
スーツやジャケット、パンツを着用する社会的場面では、革靴はその人の人品骨柄を語る。
その人が英国調の服装をする人、イタリア調の服装をする人、それぞれ、前者にがっちりした靴、後者は繊細な、しなやかな靴を履く事になる。

細かい着用の方法は、オシャレ専門誌に譲るが、革靴くらい値段に比例して着用感、履き心地が顕著である。
私は、こんな事も知らないで、25歳の時ヴァンヂャケットに入社した。
当時流行していた、先が尖って魔法使いの履く様な長い靴を誇らしく履いて、入社式に臨んだ。
それこそ、地下鉄の階段を大蟹股か、斜めにしか歩けない代物でありました。

私は営業部を希望したが、その時の部長さんは私の足元を見て、研修修了の日、君は倉庫で基本を勉強して欲しいと。
何故私は2日間で、華の営業部を叩き出されたのか、その時は全く理由が判らなかった。
日が経つにつれて、私は当時のヴァンヂャケットで、魔法使いの革靴を履いて入社した男として有名になった。相当落ち込んだものでありました。

やがて30歳を過ぎた頃、ヴァンヂャケットが販促する革靴を履いて、石津社長と面談する機会を持つ事が出来、当時の流行傾向、良い服とは等々の教えを受けていた。

「ところで、貞末君、君の履いている革靴は悪いとは言わないよ。我社の製品だ。しかし、それが世の中で一番良い靴と思ってはいけない。一度、英国調イタリアメイドやフランスメイドの靴を履いてみなさい。」と。

何という事をおっしゃる人だろうと、その時は釈然としなかったものでした。
その後、海外出張の機会を与えられ、イタリアで分不相応な靴と出会い(確か、それはタニノ=クリスティのローファーであったが)、その値段は、私の収入ではとても・・・それこそ、清水の舞台から飛び降りるような気持で買おうと決心したのです。
履いた瞬間、宙を行く履き心地、眼から鱗どころでは無く、私の人生観が一変したのであります。何事も、自分で体験しなければ本当の事は判らないものです。
   
欧米の紳士道の在り方は、服に合った靴を履く事は言うまでもないが、いたずらに高価な靴を履くよりは、よく手入れされた靴を履いている事こそが重要と言われる。
もっとも、その靴が手入れしたくなる様な代物である、これは言うまでもないが、自分の分身の様に、自分の靴は自分で磨く、化粧を落とす時のように、クレンジングクリームで汚れを落とし、シュークリームを塗り、よくブラシで、縫い目まで満遍無くクリームを行き渡らせ、最後にシリコン布、又は、女性のストッキングに布を詰めてポリッシュするのであります。
破れた女性のストッキングの有効利用であります。
靴の手入れで忘れてはならない事は、雨の多い日本で革底の靴を履く時、欧米の様に室に入り、必ず絨毯の上を歩く環境では、絨毯が水分を吸収してくれる為、革靴は長持ちする。日本でも、水分を、新聞紙等を使って乾かす事を心掛けたい。