先回のコラムは、社内でも大不評であった。
難解である、何を言いたいのかストレートに理解できない。
もう少し易しく書いてくれ!

まったく言われる通りで、大反省である。
先回の言わんとすることは、今で言う、いわゆる「真・善・美」を求めることである。

汚れを知らない純粋であった幼い頃に培われた親を思う心、
人に優しく正義感に充ちた精神が、年と共に失われていく。
自立して生活する、生きていく、また、生き残るためには何をしても良い。
生きることが正義であり、生き残るためには手段を選ばない。
その結果、純粋な心を喪失してしまう。それすら気づかない。

本来的人間としての姿を失ってしまっては、人間を対象とするいかなるビジネスの将来への処方箋は
見い出すことができない。
人を助け、助けられる。その双方向の関係から、ビジネスがスタートする。

蛸は自分の足を食べて生き残るが、人間は自分の心臓を食べてまで生きる。
悲しい話ではないか。そこに、リーマンショックによって、世の中の大変動が起きた。

今までのやり方では生きて行けない、変化に挑み、現状を打破し、
新しい知識を創造しなければならない。
すなわちイノベーションである。

人々は、イノベーションの進化によって、より素晴しい生活が享受出来るようになる。
このイノベーションは、人間に対する新しい情報発信である。
人間を対象とする提案であるから、人間を軽視する環境、社風からは生まれて来ない。

得てして、大企業病と言われる現象には、自分たちの商品を買ってくれる人には
平身低頭して顧客第一主義などというが、その企業と、関連を持つ納入先や、
社内の人間すら人として考えない風潮が蔓延している事が多く見られる。
大企業は、生き残ることが社会的使命であると考えてしまう。
そんな環境の中に長くいると、知らず知らずに人間は不幸になってしまう。
こんな大企業からは、決してイノベーションを生み出すことは出来ないと思わなければならない。

どんなビジネスでも、人間が関与して営まれる。
会社は、優位な立場を利用して、延命を計ったとしても人を大切にしない会社は、
必然的にクオリティの低い会社になってしまい、ブランド化しない。人から尊敬され、愛されないのだ。

今の世の中は、こんなわかり切った事が、平然とまかり通っているから、
まかり通している会社が大きな天罰を受ける。
個々の人は善良であっても、集団となると変貌する。
皆やっているから恐くないのであろう。朱に交わらない勇気が必要だ。

私事になるが、小学校一年生、はしかを患って入学が遅れてしまった。
病弱に思えたのかもしれないが、教室に馴染めない私は頼りないチビちゃんであった。

教師の川本先生は、今思い出してみても、決して美人ではなかったが、
私には優しい暖かい先生であった。 8人兄弟で母の愛情は私には8分の1。
川本先生はいつも優しく私を包んでくれた。

運命の日がやって来た、2年生になる時が来た。クラス替えである。

先生達も、もち上がりで2年生全体を担当するが、クラスは再編成される。
もし、私は川本先生のクラスでなかったらどうしよう。
私は2年6組、熊谷先生のクラスになった。
熊谷先生は若くて綺麗な先生であったが、私には川本先生以外は考えられなかった。

放課後教員室を訪ね、「どうか川本先生のクラスにして下さい」とお願いしたが、軽く断られてしまった。

どうしても川本先生のクラスに入りたい。
小学生の私に取り得る手段は何もなかった。
私は教員室の前で、大声で泣き始めた。
思い切り大きい声で、「川本先生でなければ厭だ!」

騒ぎを聞きつけて姉たちが迎えに来たが、絶対に私はその場を動かなかった。
友達いや、学校中の笑い者になる。それは判っていた。

しかし、誰に何と思われようと、私は川本先生のクラスに入ることが、それより大切だった。
4~5時間も泣いていただろうか、緊急職員会議が行われている様子だった。
やがて教員室から、川本さんも好かれたもんじゃのぉ~という声が聞こえた。
私は勝ったのである。

私は晴れて2年3組川本先生のクラスに編入された。
子供心に私は大きなリスクを犯し、男のくせに泣き虫というニックネームと、
友達の蔑みを受けることは、承知していたが、私は本懐を遂げたのである。
今でも私は、この時の私が大好きなのである。