練習道場に戻ろう。次は、笑いと和解の練習だ。
あの30食の食券・・・
初日の昼食、少しは美味しい昼食にありつきたいものだと思い、食堂に入る。
配膳された長テーブルに座る。お盆には、どんぶり飯と目ざし一匹、みそ汁、梅干し1ケ、
以上おしまい。
とても食べられない、こんなどんぶり飯、おかず不足、やれやれ何の楽しみもない。
無理をしてでも食べなければ、夜までもたない。
売店で食べ物が売っているなんて事はないのだ。
酒もタバコもジュース、何も売っていない。

夕食の時間、19時くらいか?流石に腹が減っている。夜は期待出来るかな?
お盆には、どんぶり飯、お汁、鯵の干物、梅干し、以上終わり。
ガッカリするが、腹が減っている。
どんぶり飯を平らげるには、おかずを大切に食べるしかない。
梅ぼしは種もかみ砕き、鯵は頭から。骨も大切なおかずである。

食べ終わると、お盆の上には食器と箸以外、何も残らない。
300人の残飯、さぞかしと思うも、残り物用にバケツが一ケ。
流石に梅の種をかみ砕けない人が「種1つ」をバケツに入れる。
何と、300人の残飯は梅の種だけだった。
くる日もくる日も同じメニュー、他に何もなければそれも美味しく待ち遠しい。

自分はシャバ(娑婆)では、どんなに無駄な食い方をしていたのだろうか?
知らず知らずに贅沢が当たり前になっていた。
私たちは残飯、生ゴミが山ほど出る生活を何とも思っていなかったのだ。
また一つ、思い知らされる。

次に「ありがとう」の練習であった。
300人収容の大広間。講師や体験談の合間、一時間おきに乾いた雑巾で、広間の畳を
一列になって拭きながら、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と繰り返す。なんだか馬鹿らしいのだが、これはやれば良いのだから少し運動にもなる。
兎に角やるしかないのだ。

最後、雑巾掛けの後に笑いの練習だ。これはつらい・・・。
楽しくもないのに笑うのだから。これは馬鹿さ加減を通り越している。
笑いの講師が壇上で「皆さん横一列に手をつなぎましょう」と言って、
横一列に手をつなぐ。
「さあ、皆さん、隣の方に挨拶して、両手を大きく上げて、さぁ皆さん、たのしいですねー、笑いましょう、ワハッハ、ワッハッハ」

どうして笑うことが出来るのだろうか?両手を上げて「ははは」と笑う振りをする。
終わると、
「それぞれペアになってお互いの手を握り、向かいあって目と目をあわせてください。」
手をつないだのは、80才くらいのおばあさま。
「目を見つめ、さあ笑いましょう。両手を上げてわらいましょう!」
笑うどころか、悲しくなってしまう。

どうして、こんなくだらないことをするのだろうか?
中には大きく笑っている人々がいる。
笑いの輪が広がる。しかし、私は笑えない。
寒気がしてくる。この練習が一時間ごとにやってくる。
とても出来ない。こんなことをやらなければ仕事に就くことができないのか?
もう、嫌だ。こんなブザマな自分が情けない。
お前の自尊心はどこに行ったのだ?2日目の午後、流石に忍耐も限界にきた。
家に帰ろうと心に決めた。

翌朝、同室の皆さまの布団を干しながら荷物をまとめる。
家に帰ったら職探しだ。しかし、そう簡単ではない。
研修していても、会社は1日1万円の日当を支給してくれている。
この1万円で家族と暮らしていける。

笑いの練習に堪えて、この収入を確保しなければならないが、私は出来ないと決めた。
しかし、1万円のために笑えないのか?
他の人が事もなげに笑っているのに、何故、自分にはできないのか?
恥をかく勇気もないのか・・・・。
1万円、1万円と念じて笑ってみよう。それしか道はない。

やってやろうじゃないか、再挑戦しよう。道場に戻った。

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