Maker's shirt 鎌倉

貞末良雄のファッションコラム

今を考える


2009年3月、やがて桜咲く春が来る。

自然界は何も変わっていない、しかし人間の住んでいる世界は大騒ぎである。
リーマンショック以降、100年に一度の世界恐慌と言われている。

私の様な小さな会社、シャツを作ってシャツを売る商人の世界からは想像も出来ない様なことが行われていたらしい。
物に関係なく、お金が宙を舞い、飛び交い、お金を動かすことで絶対に儲かる仕組みを考えた人達が、際限なく取引を拡大した。
その果てでババを引いた人が倒れ、それが引き金で儲かる仕組みに群がり集まった人達が、一挙に将棋倒しに連鎖して倒れていく。

その人達だけが、受難するのは自業自得であるが、何も関係のない人達まで巻き込んでしまっている。
こつこつと物を作って売っている小さな私は、いつもと変わらない毎日を送っているのに、知らない内に世界が変わってしまっている。
こんな風に感じる。

いつも失敗して、5度も会社を変わり、その会社がことごとく潰れてしまった経験をしているので、その経験が世の中はこんなものだと教えてくれる。
決して望みを失わないで、こつこつやって行けば、必ず希望する世界がやってくると信じているから、今起きていることにそれほど大騒ぎしたり、恐慌に引きつったりはしない。

それにしてもリーマン倒産の報が入るや否や、日本の代表格である、その尊敬する会社、世界の先頭に立っていた、ある意味屈強な大将が真先に退却したものだから、日本全軍は大混乱に陥ってしまった。
成功体験からは窺い知れない、未知の体験に遭遇する、見たこともない巨大な敵に怯えてしまったのだろうか。
誇りある先頭に立つべき大将は、決して退却を潔しとしない。
しかし総大将が退却してしまった。
次に続く人達に口実を与えてしまった。

長く日本の文化であった、潔き良さ、恥の心、大和魂、すなわち精神的なタフネスなどは、今回のどたばた、混乱の中では、ついに見ることが出来なかった。
誰かが一瞬でも踏みとどまって、時間を稼いでくれたら、その行動に多くの人が感動と勇気をもらっていたとしたら、日本は震源地である米国よりもひどいGDPの落ち込みはなかったのではないか。
我慢するという風潮が廃れてしまった。

今回の大企業の行動は、アメリカ的な合理的決断なのであろう。
人より会社(株主)を優先する。
株主に対する説明がつく行動が優先する。会社は株主のもの、しかし会社はその構成する人によって運営されている。
人あっての会社ではないのか?

よく考えてみると、今の日本の危機は他国に較べ豊かさの中での危機であって、誰も未だ飢えて死者が出たり、そこらじゅうに行き倒れが起きてるわけでない。
今まで以上バブリーに贅沢が出来ないかもしれないという危機感である。
報道は人々の不幸を増殖させている。
流通業界では、消費が冷え込み、売上減少に歯止めがかからないと考えている。
確かに全体のパイは贅沢ができない危機意識から、高級贅沢品から消費は冷えて来ている。
そうは言っても、私達の商売は、人間の欲望を充足することから始まっている。

どんな不況といえども、
人間の欲望の火を消すことは出来ない。
人間である限り、欲望は無くならない。

この不況は、人間の欲望の質の変化を促している。
この欲望の変化・方向を見定めてその先に手を打つ。
“じっと我慢して嵐が過ぎるのを待つ”動くな損をするなと号令を掛けている会社もあると聞く。
しかしどうであろうか、この変化に対応する自己革新と未知のリスクへの挑戦こそが、未来を切り開く鍵ではないだろうか。

思い出してみれば、1945年第二次大戦による、破壊と廃墟のどん底、食べる物すらない、芋の茎や野草を食べて我慢と不屈の魂を持って一生懸命に働き、いつのまにか米国に追いついた。
その後、1973年オイルショック、1985年のニクソンショック、プラザ合意後の円高(為替レートの激変)。
1990年バブル崩壊、世界中が絶体絶命と考えた日本経済は、その困難を乗り越えて、不死鳥のように奇跡の繁栄を勝ち取ってきた。

求められるのは、再び原点に返り、不屈の努力、我慢、勤勉、精神的タフネス、それを忘れなければ世界が信じているように、私たち日本の復活はそう遠くはないのである。

ビジネスマンの背広姿


電車通勤しているので、様々な人の服装を観察することが出来ます。

日本の男性ビジネスマンの通勤着、スーツ、ジャケットで気になるのは、上衣の袖丈です。
約80%ぐらいの方の上衣の袖丈は、親指がかくれるくらいの長さである。
この事によって、この方の上衣のサイズが合っていない印象を受けるし、だらしなく見えてしまう。

上衣の袖丈は、手首のくるぶしから1cmくらいの長さに修理して購入して欲しい。
上衣の袖口から1cm~1.5cmくらい、シャツの袖がのぞいているのが理想である。
従ってシャツの袖丈は、親指の付け根から2cmくらいの長さとなります。

上衣の袖口がシャツより長い場合。
袖口は何時も手に触れるため、脂汚れします。この脂汚れは、クリーニングでも落ち難い。
上衣は、シャツのように度々クリーニングするわけではない。1シーズン着用すれば、その脂汚れは相当なものになり、高価な上衣を駄目にしてしまいます。

出来るビジネスマンの姿は、上衣、ズボン共にサイズが体にフィットしており、上述の様に袖丈が正しく、その袖口から清潔なシャツのカフスが覗いている。それが颯爽として格好良いビジネスマンの姿なのです。

夏にむかい、暑い日の服装はさらにだらしなくなります。
サラリーマンの背広姿は、ほぼ100%近く、上衣のボタンを外し、シャツ、ネクタイが裸けて見える格好で歩いています。そこで、袖丈が長く(オーバーサイズに見える)、ネクタイを緩め、前かがみで歩いている姿は、本当に情けなくなってしまいます。
英国領であった香港(すごく蒸し暑い)で、イングリッシュ・ジェントルマンは、三つ揃えのスーツを着用し、ネクタイ姿で平然と姿勢よく歩いていました。恐らく、人の上に立って仕事をされていた人達と思いますが、厳しい精神の鍛錬とプライドが世界のリーダーとしての立ち居振る舞いをさせているのでしょうが、その姿は美しく、男性の在るべき姿をみたように思ったものです。

上衣の袖丈で思い出の深い話。
かつて、石津謙介先生が親しい人の結婚式に参列され、記念写真を撮る段に、カメラマンから、石津先生、上衣の袖から白いYシャツのカフスが覗いていますよと注意されたそうです。
当時、映画スターやスポーツ選手が欧州製のブランド品を着用していました。いかにスポーツマンで長身でたくましくても、ラテン民族のリーチの長さは比べものにならないのです。
従って、肩幅に合った上衣は、指が隠れるくらい袖が長いのです。これが、テレビの映像で流されるわけですから、あの格好いい人達の着こなしが、正統と考えたのでしょう。
石津先生は、大層なげいておられました。貞末君、どう思うかねと・・・。

さて、私達日本人のルーツには着物があり、洋服の文化を取り入れてから歴史も浅く、又その着用のルールは男子服に求められ、正しい着用の方法は教わる機会に恵まれない。
このため、単に上衣の袖丈やシャツの袖の長さにも無頓着になってしまいます。
しかし、どんな男性でも自分のスタイルが格好よかれと願っているものなのです。
まず始めに、上衣の袖丈、シャツの袖丈に注意を払って戴きたいものです。

他人に好印象を与える。
この事は、礼節の第一歩であります。

私は、外国人と接する機会が多く、初めて来日される外国人の方々は皆様、日本人の礼儀正しさに感心しています。日本人同士が、互いに頭を下げてお辞儀をしている姿は、とても美しくお互い尊厳を持って対峠していると映るらしい。
シュリーマン旅行記(1850年頃)、中国を経て日本に上陸したシュリーマンは、中国のそれに比べ日本人の礼儀正しさ品格の高さに心を打たれた様子を描写している。
私たちの先輩は、この礼節でもって、世界に堂々たる存在感を示してきたのではないでしょうか?
幕末の徳川使節団の訪米に於いては、正しく着用された「サムライ姿」であったが、米国では、高い評価を伴い大歓迎された。と記述されている。

礼に叶った服装と、その立位振舞はどの国に行っても説得力のあるものであります。
私は、何度も服装の重要性を論じてきていますが、今の日本のビジネスマンが外国で説得力ある服装立ち居振る舞いが出来ているか?
品格を失いつつある、ビジネスマナーを考えると、寒々とした気持ちになってきます。

私たちの使命、会社の使命として、誇りある日本人の目覚めを願いながら礼節ある服装の提案を続けるつもりであります。

シャツのSIZEについて(思い込みと常識について)


男性はシャツを購入する時に、まず自分の首周りのSIZEを指定する。第2は袖丈である。

女性は首周りではなく、バストや胴周り、袖丈が自分に合っているかが重要で、多くの女性は試着される。

男性は自分の胴周り(ウエスト)SIZEが体重の変化によって変わることは体感している。
すなわち1kg体重が増加すると、胴回りは0.8~1cmくらいは大きくなるのです。
同じように首周りの肉もついてくるのであるから、体重1kgに対して、首周りのSIZEは0.5cmくらい大きくなるのです。
ウエストはベルトを締め、ベルト穴の位置や、いつも穿くズボンが窮屈になるので体感出来るが、首周りは0.5cmくらいは、誤差の範囲でもあり、またシャツの第一ボタンを留めない人もいるので体重の増減には無関係と思っている人が多い。
この為、自分の体重が2kg以上増えると、シャツの第一ボタンが留め難くなるので、これは、自分に原因があるのでなく、シャツが縮んだと決めてしまう。

私達の作るシャツは綿100%である為、洗濯、乾燥によって、2%くらいの縮率は避けられないので(40cmの人で2/100=0.8cm)、設定SIZE39cmの人は40.5cmにして1.5cmくらい、ゆとりを持たせて作られている。従って体重1kg増加と綿素材の縮み2%あったとしても、シャツのSIZEに違和感は、あまりないものと考えているが、一番厄介なのは、シャツ購入時の自分の体重とシャツのSIZEが苦しくなった時の自分の体重差を認識されていないことによっておきるクレームである。
そもそもクレームは自分の絶対正しいという、ゆるぎない自信から生まれるものが多く、自分が絶対正しいと思っている人に、どのような説得も通用しないのである。
人間の常識は、自分が学び経験した範囲で持っている判断基準であるから、人それぞれが違った主観、常識を有しているのである、したがって自分の常識が世界の常識と考える人も大勢いるのです。

シャツ作りのプロとして話をしても、その人の前でパフォーマンスを実施できるわけではないので、本で得た知識を振りかざしてくる人には困ってしまう。
ゴルフのように理屈はそうでもその通り球が飛ばなければその人は素人で、理論はプロ並みでも球が理論どおりに打てなければ、その人は素人として納得する。

服飾の世界では、物の本がそれらしく書いてあり、にわか勉強でも”通”とまかり通る。
その人が球を打ってくれる、すなわちどんな服装をしているかが判れば、見破ることもできるが、相手は姿を現さないから、対応にも苦しんでしまう。

SIZE感というものは、体感であるから、自分の体型や体重の変化によって、購入した衣服に体感が変わるのは当たり前の話であるが、これを納得する人は少ない。つまり自分は不変なのであるから。
私達が物を創る時、サイズを設定する、たとえば39cmの首周りのシャツと言った場合、工場に39cmのシャツを作れという指図は出せない。
生地を切る刃物の巾や、工場が使用している物差しの誤差は刻々変化する。一方、布地も温度や湿度によって伸び縮みする。
すなわち、絶対的な条件下で(常に一定の条件のもとで)作業が行われるのではない。
従って39cmとは39cm±0.3cmくらいの範囲を認めなければ、作業を進めることはできない。

一方、物差し(メジャー)であるが、私達の世界に正しいメジャーは存在しない。
総てメジャーは正確でないからである。
なるべく、温度、湿度に左右され難い材料が使われたとしても絶対ではない。
従って、私達は不確定なメジャーを使い不確定なものを作っているが、人間の生活で不都合を生じない又は感知し得ない範囲の設定がなされているのである。

かつて、メートル原器が設定されたのは、せめてこれこそが正しい1mであると決めなければという事で地球の子午線の4,000万分の1を1mとして、白金99%イリジウム1%の合金で、摂氏0度で両端の目盛の差が1mになるように作られたものであった。
しかしこれも、絶対的でないという事で1mとは2,997,792,458分の1秒すなわち約30億分の1秒間に光が進む長さとなったのです。
こうなると、私達にとって、1mという絶対値はイメージすらできない現実離れの存在となってしまう。

この様に私達の世界には39cmという長さは存在するけれどもそれを実測することはできないということを認識しなければならないのです。
私が測ったら、39cmのネックサイズのシャツは39.4cm、あなたが測ったサイズでは38.9cmなんてことが当たり前のように生じるものですから。

クレームがいただけるのは、私達に新しい発見を促す事も多く大変貴重なものであり、実際物作りを進化させたいくつかの例もある。しかし世の中の真実や、絶対と思い込んでしまっているこんな事にも、もしかしたらそうなのであろうか、という風に深く考える、思い巡らす必要は、ないのだろうか。

一通のレポート


この早稲田大学の学生のレポートを読んでみてください。
2007年某日、早稲田大学での私の拙い講義を聴き、レポートをくれました。
思考の深さ、行動力、深い感銘を受けたと共に、日本の将来もまんざらでないという安心感に包まれました。

男性は自分が更なるステップを昇るためには自分に投資を怠ってはいけないのです。
服装の重要性を認識しなければなりません。
20歳の学生が英国に留学して体験から得たことは、まぎれもなく服装の重要性を語っていました。


こんにちは。
昨日「ファッションビジネスを通して考える金融システム工学」でお話を拝聴させていただき、質問(クールビズについて)をさせていただいた者です(青いラコステを着ていました)。
先生(不適切かもしれませんがこのように呼ばせていただきます)のお話に大変感銘を受けました、ありがとうござうました。
先生は講義の中で、日本人男性の装いについて厳しくご指摘なさっていらっしゃいましたが、私はそのお話を聞き、居ても立ってもいられなくなりメールさせていただいた次第です。大変ご多忙のこととは存じておりますが、目を通していただければ幸いです。

先生は講義中あるいは御社Webページのブログの中で、男が「正しく」装うことの重要さを説き、装いの点において日本の男性が極めて未熟であるとご指摘なさっていらっしゃいます。
このご指摘は、私の考えとまさに一致するものだったのです。無論、人生においてまだ数える程しかスーツに袖を通したことのない二十歳の学生の意見ですから、先生のような方の見識と比べると全く浅薄なものですが、それでも私は自分の考えが認められたような気がして嬉しくてたまらなかったのです。

正しく装うことが相手への礼儀であり、「自分」を表現する手段であるとするならば、日本人男性の大半は無礼で「自分」を持たない人間と言わざるを得ません。
「日本人は外国人相手の交渉事に弱い」などと、半ば決まり文句のようにいわれますが、無礼な人間は交渉相手とはみなされないでしょうし、交渉のテーブルに就 けたところで、「自分」の無い人間に交渉が務まるはずもありません。
一昨日、安倍晋三首相が辞任する意向を表明しましたが、私は彼がサミットのような国際会議の際に各国首脳との記念撮影に臨んでいる映像や写真を見る度に、情けなさのような感情を覚えていました。彼のスーツは私にはオーバーサイズに見えましたし、タイのノットも極めて貧弱で、スーツの型も時代遅れに映りました。彼の横にいるフランスのサルコジ大統領の堂々たる姿が羨ましくも思われました(イタリアのベルルスコーニ前首相も立派な装いだったと聞きます。ブッシュ大統領は先の日米豪の首脳会談でローファーを履いていた?ように見えたのですが)。
安倍首相の服装は一国の総理大臣の装いとしては不適切で、それによって彼の立ち姿や 会見中の様子もどこか頼りなげに思われました。彼は「美しい国」や「主張する外交」といった発言を度々していましたが、自らの装いはその真逆を行くものだったのではないでしょうか。もし彼のスーツがもっとモダンで、タイがディンプルのあるセミウインザーに結ばれていたならば、彼の考えはもっと国民に受け入れられていたのではないかと思います。私たち国民はメディアが伝える断片的な情報しか受け取れないわけですが、彼の装いひとつで同じ断片的な情報であっても伝わり方は変わっていたかもしれません。(長くなりましたので二通目に続けさせていただきます。)

日本のストリートファッションは世界一といわれています。ところが、ストリートで世界の注目を集めたひとたちの多くも、ひとたびビジネスやフォーマルの場にデビューするとまるで世界から相手にされなくなるのではないでしょうか。
最近ではセレクトショップで揃えたスーツと小物で全身を固めたビジネスマンもいるよ うですが、欧米人の着こなしとは何かが違うような気がしてなりません。

今年の春一週間程イギリスに語学ステイをしていました。
ロンドン郊外に滞在していたため、ほぼ毎日ロンドンの中心部に出かけていたのですが、オックスフォードストリートやリージェントストリートを歩くビジネスマンを見るとなぜか(妙な感情を抱いたわけではないのですが)ゾクゾクしてきました。
日本のビジネスマンで、パッと見ただけでこのような感情を抱かせる人にはおそらく今まで会ったことがありません。このあたりが、日本人と欧米人の「違う何か」なのかもしれません。
何が違うのかは私にはまだよくわからないのですが、その違いの原因は「社会に出るまでに正しい服を着たり見たりしたことがあるかどうか」だと思います。
現在の日本社会では、残念ながら、「美しい服」や「面白い服」を着たり見たりする機会は充分過ぎるほどに若者に提供されているにもかかわらず、彼らが「正しい服 」を経験する機会はほとんどないような気がします。

以上を踏まえて先生に伺いたいのですが、先生は例えば御社設立当初と比較して、日本の男性の装いは変化してきたとお考えですか。私が知る日本の装い事情というのはほんのここ2,3年のものに過ぎないのですが、それでも90年代と比較するとセレクトショップ人気もあって、市場には良い品が豊富に供給されるようになり、海外で経験を積んだバイヤーなどから洗練された着こなし提案などの啓蒙活動もなされていると思うのですが。

ここまで二通にわたる文章を読んでいただき、ありがとうございます。拙い表現もあったかと思いますが、お許しください。厚かましいお願いかとは思いますが、私の考えの不十分などについてもご指摘いただけると幸いです。

追伸:10月に一度鎌倉のショップにお邪魔させていただこうと考えています。鎌倉に行くのが初めてなので、街の雰囲気などを想像し、とても楽しみにしています。

年頭に思う


会社設立から15年が過ぎた。

創業の折りは、10年続けられる会社を創ろうと考え、一日一日を大切にやってきた様に思う。
それが15年も無事にやって来れた。感謝の気持ちを是非、100人にも増えた従業員の皆様に伝えたい。
供給してくださる仕入先様には、更に飛躍して注文を増やし、その恩に報いたい。
設立の記念日に近い11月に、全社員にその思いを伝えるべく集合してもらった。

更に15年、この会社が存続する為に必要な事は何か。
「魚は頭から腐る」と言われるように、私自身経営者として反省することは無いのか。
従業員の皆様が、何か思いの通じない、あるいは、やりたいことも出来ない、言いたいことも言えない硬直した管理型の会社に変質していないか。
もしそうだとしたら、反省するべきは経営者にある。
皆の前でその思いを語り、そんな会社に絶対にしない事を誓った。

しかしながら会社を支えているのは経営者ではなく、日々お客様に接して一点一点販売している従業員こそが会社を支え、発展の芽を育てているのである。
私達の会社の製品に偽りはない。お客様が、この値段でこんな物が買えるのかと驚き、最後には感謝して下さるような物作りに徹している。 その為に、仕入先様に圧力をかけ、優位な取引を強要しているわけではない。

されど私達小売業は単調な活動の中でも変化と創造が要求され、外的要因であっても売れない日々が続けば自信を失っていく。
失いかける自信を取り戻し、誇りと自信に満ちた活動を支える為に、誇りの持てる商品の供給を心がけ、皆が楽しく力を発揮出来る環境を作らねばならない。
私達経営者も自らに課した厳しい課題をやり遂げることと、従業員の皆が楽しく自信を持って仕事を遂行するためには、守らねばならない自己への課題の克服をお願いした。
六ヶ条の課題を完全に身につけてほしい。
こんな集会であった。

人間の力のすごさを痛感したのは、その日から全社に大きな変化が著れ、暖冬で低迷する業界にあって、驚くべき販売の実績が著れ始めたのでした。
11月に工場に追加注文が出る。こんな前代未聞の現象を、工場の皆様から聞く事が出来たのでした。

人間の思索(脳)は無限大の宇宙よりも大きい。
人間の力はその様に測り知れない。
会社が一体となって力を合わせ、そのエネルギーが内向きでなく外向きに、何の疑いもなく安心して発揮出来る条件が整えば、思いもよらない力が集積し、強大な力と成って爆発する。

どの様に時代が変化するとしても、私達の営みは全て人間がやっていることなのである。
善なることをしていると自覚したときの人間の力は測り知れない。その仕組み作りが経営である。

世間は『偽』で終わった07年、人間の本来の持てる力を、全て否定してしまう様な企業運営の仕組みは一体何なのであろうか。
自社の利益の極大化という目標値が全てに優先する。この仕組みの行くつく処は、負のサイクルの膨張であり、破滅しか待っていないのである。

私達の業界には、まだまだ表に著れていない多くの『偽』が内在しているのではないだろうか。

失敗の本質


野中郁次郎著 『失敗の本質』 は、30年も前に読んだのであるが、未だに脳裏に焼きついて忘れることが出来ない。 人間の愚かさが自身に振り返り、反省を迫ってくる。

勉強し、努力し、知識を詰め込んで事に当たるとき、自分の正しさを強く意識するようになる。
TOPに立ち、自分の正しさを論理を並べて主張するとき、誰もその人を諫めることが出来ない。

この本では、明治時代の軍のTOPは多くの実戦体験の中から空気を体感し、勝機を察知することができた。理屈抜きの判断力は、現場の体感を幾度も経験することである。
昭和の軍は、頭脳明晰ではあるが経験の乏しい本部要員が、論理的・帰納的手法で机上で戦略決定した。
そこには「体感した手痛い失敗の本質を捜す」という思考回路は入り込んでこないのである。

安倍政権が参院選で負けたことは、どうもこの失敗の本質を自らの判断基準として持っていなかった。
一方、小沢民主党は現場の空気を読みきった体感主義が勝利したのである。

上述のことを今日本の私達アパレル業界に当てはめてみよう。

人々の欲求は日々変化している。
その変化の背景にあるものは複雑・多岐にわたり、論理的に推論するとしてもその一端しか捉えていないのかもしれない。
人々の欲求に応える為に物作りするとき、私達産業人の指導者がどれだけ現場・現地(原材料の)に立って仕事しているだろうか。

生産の現場に関与することなく製品が出来上がる。
言葉は美しくコンセプトを語り、FASHIONを謳う。
コストと納期(安くたたいて仕入れ、販売のタイミングに合わせて何がなんでも納入させる)

こんなことがまかり通り、売り場の商品が同質化する。
レーベルを外せばどこの商品か判らない、個性や主張のない商品ばかりである。

デパートの売上減少に歯止めがかからない。
売場維持のためには、売上額と差益の絶対死守が出世街道となる。
本質が見失われ、現場あるいは商品すら見ることなく、ますます机上の計算(エクセル表)論理的・予算達成方程式で仕入れが行われる。

もう自分だけ良ければの世界である。
それでも泣く子とビックバイヤーには勝てない。
行く末が地獄と分かっていても引き返すことができない・・・と、納入業者の嘆きが聞こえてくる。

今私達の回りのアパレル社会では、まさにこの失敗の本質で語られた、失敗の道をまっしぐらに突き進んでいるのである。
なまけ者の私でさえ、麻の生産地・綿布の紡績の現場・ニット産地の現場を歩いている。
その現場の方々の日々の努力、創意工夫、勇気あるチャレンジ。
それらに触れながら、感動し、共感し、喜びを分かち合う。
縫製工場の皆様にはミシンの一針に 『あの会社のため』 という入魂をお願いできないかと考え、スタッフ総動員して意志疎通に努めている。

人間と人間が作り上げていく社会である。
人間と人間の関係を無視して数字や物だけが動き、その上に商いを組立てているとすれば、震度1や2の揺れでその仕組みは瓦解してしまうだろう。

私達のような小さな会社が、素材の調達で日本で一番と言われる方法を実践し、リスクは背負うけれどもそこで初めて皆様に喜んで戴ける。
質と価格を、現場に立って、皆様の立場に近づいて達成しているのである。

リネン・カシミヤ調達の旅から帰って、その思いを書きました。

Back to basic


私達の会社は、イギリスの紳士服に学ぶことを原点としてスタートした。

イギリスは紳士スーツを1667年に発明し、350年もの間進化の歴史をたどることになるが、服飾の歴史の中で350年も続いて全世界で着用されている服種も例をみないのではないか。
その経済性・効率、全天候型であり、体型になじみ活動的で、何よりも男性を逞しく知的でセクシーに見せる事が全世界の人々に支持されたのであろう。

紳士スーツシステム(上衣、ベスト、トラウザーズ、シャツ、ネクタイ、ベルト、靴)は、その時代時代の人々に支持され現代にまで続いている。まさに「CLASSIC」なのである。どの時代にも人々に支持されたが故に生き延びて、現代ではそれを、音楽と同じように「CLASSIC」ということになる。
音楽もその基本旋律は変わらないが、楽器の発達や音響効果の進化を含め、演奏家や指揮者の時代の背景を上手に反映させたからこそ、その永続性が保たれたと考えることができる。
私達の会社も、単純に過去返りするのではなく、クラシズム(基本)を保ちながら時代のセンスを巧みに取り込んでいかなければならい。

売らんかなの姿勢が強すぎる。
売れているものが正しいということに成る。

時代の要求は必ず変化する。その変化の一部を全体としてしまうマーチャンダイジングは、私達の築いてきた、長く支持して下さった人達の信頼を裏切ってしまいかねない。

お客様に信頼を戴き、製品に対する、あるいはストアに対するロイヤリティーが高まり、メーカーズシャツ鎌倉がブランドロイヤリティーを持ち始めているこの時期に、私達はもう一度時代のセンスを吸収しながらも『Back to basic』を強く意識したい。

私達が鎌倉のコンビニの2Fに16坪のSHOPをスタートさせたときは、「メーカーズシャツ鎌倉って何ですか?」という時代でした。
西欧のレーベル名しか受け入れてもらえない時代。
ブランド名は「Bow Bells House(ボウベルズハウス)」であった。
和製の「鎌倉」が通用する理由もなかった。

あれから15年。

ひたすらに良いシャツを一生懸命作り続け、シャツ製造にたずさわる全ての会社の人達と、信頼を裏切ることの無い公平な取組、翌月現金で総ての仕入先様へ全額支払い続けることで、小さな会社が信用を得る事ができ、製造企画、販売の総力が信頼の輪となって、メーカーズシャツ鎌倉が初めて日本人の手で、西欧の発明である服飾のブランド化を実現しようとしている。
これこそが創業の時の祈願であり、夢であった。

創業15年にして私達は 「Bow Bells House」 から 「Maker’s Shirt 鎌倉」 ブランドとして、新しい挑戦を始める。

幸いにも、TEXTEQというブランドでスタートしたジャケット・トラウザーズは高い評価を得る事ができ、業界の著名な方々、政府の高官の方々への服飾提供をさせて戴いており、私達が夢とする全服種のみならず、私達メーカーズシャツ鎌倉が描く世界観を提供出来るべく、将来の夢を進化させたい。

このアーティクルは私が年頭の決意で語ったことに関連しており、私達グループの社員を含め、経営する私の決意表明であります。

2007年5月14日    貞末良雄

英国紳士が泣いている?


それにしても、凄まじい勢いでメンズドレスシャツのデザインヴァリエーションが拡がっている。
クールビズに始まる男のオシャレ、シャツ姿、正統なシャツ姿では変化が少ない。

だからと言って考え出されたのが、婦人服に見られるようなルールの無いデザイン、衿型、ボタンステッチの色糸。
アッと驚くボタンダウン、クレリック、ダブルカフス。
正統的なシャツ(英国で育った、歴史を生き抜いた究極のデザイン)を一品料理とすると、まるでこれはオジヤの様なもので、何でも有りのデザインだ。

勿論、どんなデザインも自由であり、着用する人がそれを好めばそれを否定することは出来ない。
かつて紳士服スーツの発生の地英国でも、長い歴史の中でこの様なことは度々あったと推察される。
しかしながら、紳士服は社会的規範の中で、双方が認め合うその人の品格の証明であり、対峙する相手への礼儀であるとして、服飾は発達し、受け継がれてきたのである。

男性が女性化する現代であるから、ドレスシャツがルール無く派手派手しいものになるのだろうと考えてはみるが。

男性が女性から尊敬され憧れを抱いてもらえるのは、その男性の内なる要素によるもので、その身体を包み込む服装に威厳と品格が求められるのはごく自然なことである。
自分が好きな服を着て、それが他人の評価を得ているに違いないと思い込んでいる人達が、良いと思って着用する。
観る人が見れば、なんと場違いで奇妙な格好に見えているのである。

テレビに出演する紳士の方々の服装や、若者相手に販売する紳士服を見て、英国紳士は泣いているかもしれません。

今の現象は、紳士服発生の地の英国の人達、その伝統を受け継ぐ米国や仏国の人達からどの様に評価されているのだろうか?
売らんがなという業界の流れは、全く自分勝手な行動になってしまう。
その販売方針には哲学のかけらもない。
日本人が国際社会で評価されるべき姿は何か。
こんな考えは毛頭ないのかもしれないし、一方どんなスタイルが正統的であるか知識もなにもない企画者がなさる業なのであろう。

こんなこと嘆いているのは私一人なのであろうか・・・・・

新年のご挨拶


創業して14年。
ついに直営10店舗目を新宿三丁目イーストビル(シネコン、丸井のあるビル)1Fに、来る2月9日(金)開店に漕ぎつけた。
素晴らしい店を作る事が出来たと、少し自負している。

私達は資本のない夫妻二人からのスタートであったが、大勢のお客様に導かれて今日があります。
一日一枚しか売れない小さな店から、今では一日1000枚以上ものシャツを販売する店に成長させて戴いたのです。
お客様の期待を裏切らない為にも、毎日毎日一生懸命に価値ある正統なシャツを作り続け、更により良い物作りをと努力しております。

私達が思い描くお客様。
それは私達の思いをしっかりと受け止めて下さる方々。プライド高く更なる向上心と高い自己実現を目指し、世界のどこでも活躍出来る方々。
こんな方々に私達が想像した通りの着こなしをして下さる、そして満足して下さる。
本物が判る人達との共同事業の様にも思えるのです。

本物とは。
正統的なものとは。
品格ある商品とはと思いをめぐらせ常に哲学する。
こんな経営姿勢を持続させたい。

順調にやって来れた甘えがあってはならないと自戒している。
今年は今までに蓄積した会社の総力を出し切って更なる技術、ノウハウ取得の為の投資を惜しまず、新たな10年に向かって突き進む所存です。

限り無いお客様の満足に応える為にも、企画し販売する私達は、商人としての誇りをもち、お客様への満足を提供するために創造とリスクに挑戦を続け、縫製する工場の皆様、シャツ生地を織り上げて下さる工場の皆様と販売する私達が強い絆で結ばれ、支持して下さるお客様と輪に成って、さらに大きな輪として拡大していく様な、そんな重要な一年になるように考えている。

日本男子の忘れ物


私の会社は世界で活躍するビジネスマンを応援する事をその目的の一つにしている。
仕事柄、多くの業界のTOPの方々や、クールビズが始まった頃から政治家の方々まで、服飾のアドヴァイスをする事が増えている。

そんな活動を通してまことに残念に思うのは、皆様に日本には洋服の文化はなかったという認識がない事なのです。
洋服の効用やマナーに関する知識の欠如なのでしょうか?

服を着る、着飾る、すなわちオシャレをする。
それはFASHIONする事であり、男性も女性も服を着る目的が同じと錯覚しているのです。
何度も言うように、女性は美しくあればよいのです。
極端な言い方をすれば、シャネル5番だけでもそれは美しいという事で容認されるでしょう。

例えは極端であるが、女性の着飾る、FASHIONする事と、社会人としての男性が求められる要素は全く違っているのです。
当然社会進出した女性がソーシャルな場面で要求される服装にも、それなりの節度が必要です。
男性の社会的な場面で要求される服装は、私達日本人が西欧の社会と交流を持つ場合、日の沈まない国 大英帝国が歴史的に積み上げてきたウエストエンドルールが基本であり、どの欧米諸国もそのルールを踏襲しているのです。
このルールを外してしまうと、彼らから対等の扱いを受けることは期待できない。

男の服、スーツを中心とする服飾はあまりにも変化に乏しい。
それ故に微細な事にこだわり、頭の天辺から足の爪先まで全体が美しく調和の取れたスタイルが望まれる。この調和の達人が粋な男性であり、そのにくいばかりの気配りと、その涙ぐましい努力をもってダンディズムと呼ばれる所以なのであります。

社会に出る前の男性は社会的な公の機会が少ない。
従ってルールの無いカジュアルウェア等で女性と同じ土俵でオシャレをすればよい。 女性に負けない化粧をするのもよい。しかし一旦社会に出る関門ではいきなりリクルートスーツスタイルを着用する。
考えた事も無く、着用した事も無いスーツ姿に成る。
何でも良いから上下揃いのスーツを着る。そして試験には合格して会社に入ってくる。
会社にはスーツ姿に白いシャツ、地味なネクタイをしていれば皆に紛れ上司にとやかく言われない。上司もそれ以上服装に関心があるわけでない。そんなスタイルが日常に成り、何の疑問も持たなくなる。
こうして日本の男性は、服の魔力、自己を主張する最大の武器を放棄することになる。

社会進出した以上そこは戦いの場であり、海外とビジネスを、政治活動を展開するとすれば対峙する相手を初対面で威嚇、もしくはこちらの品格を認識させる必要がある。
まずそれは服装に始まる。 この初対面の印象の重要さは、誰もが知っている。

日本人対日本人であれば、相手のレベルによっては事無きを得ることもあるが、欧米の彼らとの対峙は厳しい選別の目に晒される。
『オヌシ出来る』
と思われなければ、語学が巧みであってもネイティブスピーカーでない限り説得力は無残にも失敗という事になる。

明治の始め、公式の服装を洋服と定めた当時政治家の方々、産業界の新しい担い手の方々、上級官史の方々。
それはそれは服飾に気を配り、研究を重ね、どこから見ても誰からも『流石』と言わしめる服装を心がけたのでした。
それは対峙する相手への礼儀であり、特に列強諸外国に接する場面での弱国日本の緊張振りが、服飾への最大の気配りが推察される。

『臆しまい、負けるものか、勝たねばならぬ。』

服装は大きなプロテクターであったのです。
それ故に人の上に立つ人々、それを志す人達は服装に投資し、その効用、見返りを認識したのです。

現在の私達の周りにこんな思いで男の服装を考えている人がどれほどいるのでしょうか。
先達が残してくれた遺産は戦後と共に飛散したのでしょうか。

弊社のNETで買物をして下さる大阪の弁護士さん。
大手会社の知的所有権訴訟に係わっている方の嘆き。
日本の弁護士5人、米国5人、法廷での第一回顔見せの場に臨む。
相手5人の目も眩む服装に圧倒される。
誰の目にも洗練され高級感に裏打ちされたバランスの良さ。
それに引き換え、日本弁護団のみすぼらしい事。
一ラウンドノックアウト。

今まで1勝10負。負け続きだ。
それでも未だ外見改革は恥ずべき行為と頭の良い人は考えている。
服装の魔力を信じようとしない。

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メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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