Maker's shirt 鎌倉

Tags : 2014

人の上にたつ【2】


よく、人の上に立てるのは部下のサポートではなくて上からの引っ張りに依る事が多いと言われる。企業力学である。
従って、上に阿る集団の習性がはびこることは避けて通れない。
集団の力学とは、こうしたものであると自覚しなければならない。

果たして自分はその分類に入る人間なのであろうか、自己分析が欠かせない。
どんな理由であれ、人の上に立ったならばその役割を遂行せねばならない。
失敗は部下の責任、手柄は自分。このような行為は誰からも信頼を得られるものではない。
自殺行為と悟るべきである。
実力でTOPに立ったのか、否かは自分よりも他人の方が判っている。
故に、どんな理由であれ、TOPに立つ人は大きな責任を背負うことになる。
その時こそ第2の人生の出発点と考え自他ともに認める自分に向かって精神的にも、
肉体的にも強く鍛え目標とする自己実現に近づかなければならない。

精神を鍛える、それはいかなる困難にも動じない自分創りである。
困難に遭っても狼狽しない自分創りだ。
困難を克服するには学問は役に立たない。
実戦経験に依るしかない。(避難訓練みたいなものだ)
体が動かなければ何の方策も出せない。
困難は、その本質を見極めその奥に潜む真の問題点を、そしてそれは何故起こったのか、知覚する事である。
知識、理論派は考えるだけで行動には臆病である。
行動、決断出来る人は、体験派であり問題の本質を体感、認知している。
体験派は、今までに色々と痛い思いを含め、様々な選択肢を経験した人であり、脳の回路が何を優先させるか、
問題の本質は何か、だから何なのだと開き直れる、そんなプログラムを構築してきた人と言える。
秀才が有事に弱いと言われる所以である。

(体を鍛える)
健全な精神は健全な体力に宿る、耳にタコが出来るほど聞き慣れた言葉であるが、どれだけの人が体力を鍛えているだろうか?
第一に緩慢なる自殺行為と言われているのが喫煙である。
癌、痴呆、欝(うつ)のリスクは何倍も高くなると言われている。
人は老い易く、学、成り難し。と言われる様に、短い人生で凡人の自己実現は健康で長生きして初めて実現する。
健康でなければ正しい判断は下せない。
どんな状況にも対応するTOPが健康を維持出来なくては資格を有しないと同じ事である。
流行のうつ病などは健康を害することから始まると考えてよいのではないか?
体が健全でないと、負の思考、すなわち物事を前向きに捉える事が出来なくなる。
リーダーが仕事を完遂するには、明確な判断基準と強い達成への意欲、誰もが納得する高い理想や信念が集団の共通認識となり
エネルギーの渦となって、全体を牽引していくのである。
信頼に基づき集団が一致団結することが理想であり、その環境を創るのが真のリーダーである。

人の上にたつ(1)はこちら

ポケット論争


ドレスシャツ、Button Down以外を胸ポケットの無いものに変更した。
ドレスシャツのポケットを外す決定には賛否両論で、未だに(1年経過)反対の立場の方々から厳しい批判を戴いている。

その論旨は、
1.『ここは日本である。日本人に売る以上、日本の気候風土、習慣に倣い日本人仕様のシャツを販売すべきではないか。あなたも日本人ではないか。』
2.『私は米国に何年も滞在したがシャツにポケットなしなど聞いた事がない。何かの思い違いではないか。』
3.『夏場はクールビズが浸透していて、上衣、ネクタイなしが一般化している。上衣が無いので、シャツのポケットは必要不可欠である。』
4.『単なるコストダウンではないか。』

以上の論旨は、ごもっともと考えている。

しかし一方で、
『正統なドレスシャツ(ポケットなし)を着たかったが世界の一流ブランドやラルフローレンのドレスシャツしか捜せなく、いくらなんでもこれらのシャツを何枚も購入することは出来ない。
10年以上も前には確かスリムFitシャツにはポケットがなかったが、オンラインショップが始まって、やがてポケットありになり、鎌倉シャツには失望していた。
鎌倉シャツさん、よくやってくれた。』

こんな賛成意見も在る。

NEW YORKに出店してオープン初日早々に、ポケット付きのドレスシャツについて、「何故ポケットが必要なのか」お客様に問いただされた。

彼の論旨は、
1.『シャツは肌着に近いもので物を入れる機能は必要ない。』
物を入れたければ、JACKETにもPANTSにもポケットは沢山ある。

2.『シャツはスタイリッシュに着たい。』
シャツとネクタイはビジネスシーンにとってとても重要で、敢えて言えば最も男性がSEXYであるのは、上衣を脱いでシャツ姿になった時である。
故に彼はジャストサイズのシャツを探している。
ジャストサイズのドレスシャツを着用して、ポケットに物を入れれば、そのシルエットは崩れてしまう。デリケートで高級なシャツ地はダメージを受けてしまう。

(余談になるが…
アメリカ人は太った人が多く、又すぐに太るという恐怖心から少々大きめのシャツを購入する傾向がある。
メーカーが“スリムFit”と言っても、表現はそうでも必ずしもスリムでない“スリムFit”シャツが溢れている。
日本人はそんなに太るという恐怖心が無いだろうから、日本人の作る“スリムFit”は本当に期待通りのサイズに違いないと考え、買いに来たという方が大勢いたのです。)

アメリカでは正に、ポケット付きのドレスシャツは1枚も売れなかった。

イギリスで発明され、進化したドレスシャツであるが、正統な源流は、ポケットなしだ。
ポケット付きはジャパニーズアレンジであって、これを世界に拡大することは不可能である。
私達の会社の社是は日本人の男性をおしゃれにする事であり、世界で活躍するビジネスマンを応援すると設立以来、この目的に邁進してきた。
もし、NEWYORKでお客様の忠言がなければ、応援していたつもりの人々を世界の檜舞台で恥をかかせてしまったのである。

考えてみれば衣服が買える生活でなかった第二次世界大戦後は、セーターは手編みで作り、上衣は軍服を改造し、有力者は街のオーダー屋さんでスーツ、ヂャケットを作らせていた。
この頃は、衣料は暑さ・寒さをしのぐ必要衣料であった。
従って衣服には、機能が具わっていることが必須で、購入の動機はその機能の良し悪しが決め手であった。すなわち、人々は衣服の機能を購入したのであった。

やがて人々の暮らしが向上し、衣食が足りた婦人にはFASHION誌が、男にも、男子専科などのおしゃれ誌が登場した。
1950年後半に石津謙介の設立した服飾メーカーVAN JACKETが誕生する。
人々は機能消費から目覚め、格好いいもの、すなわち“情緒豊かなもの”を求めるようになった。
(機能消費から情緒消費への転換である。)
機能ではなく、“情緒”を刺激したのがVANであった。
若者達も大人も、服は格好良いもの、夢を叶えてくれるものとして、一世を風靡したのである。
私はVANに在籍し、その伝統を受け継ぐ者として、服は“格好良いもの” “情緒を豊かにしてくれる” そんな使命を引き継ぎたいと考えている。

当然、日本には機能満載のポケット付きドレスシャツやクールビス対応の派手なシャツが世に溢れている。
それが果して格好良いか否かではないだろうか。
そのシャツ(鎌倉シャツを含め)が好きか嫌いか、それこそ情緒の問題で、それを選ぶ本人の自由である。そこには誰も異論を唱えることは出来ない。

格好良いか否かは、他人が判断する。
自分がそう思っても、他人が評価しなければ、それは一人よがりという事になる。
自分の評価は他人がするのである。
異論反論、有難く受け留めるが私たちの会社の使命としてやっていく決定を覆すことは考えていないのである。

格好よいビジネスマンが世界に飛躍する姿を夢みて

貞末 良雄
2014.8.5

人の上にたつ 【1】


努力して認められて、ある集団の責任を任される。
すなわち、俗に言う「出世する」ある範囲のTOPになることである。
恐ろしいことであるが、息を耐えだえに踏んばって、踏んばって、TOPに立った人はやれやれ、一息。と思うものである。

私もこんなに頑張ったのだから、お前たち(部下)も私と同じようにやれと、出来ない部下を叱りつけて、全体の士気があがらなくても、それは全て部下が悪い。だらしがないからと思う。何度言っても、部下はミスをする。叱れば叱る程、ミスを繰り返すものである。

自分の向上は一休みして、高みから下ばかり見る様になる。
高い処は安全地帯と思ってしまう。これ以上、自分は進化し、向上しようとは思わない。
もう、面倒くさいのだ。今まで、随分努力してきたのだから・・・

こうして、登りつめた途中の高台で、満足することを、無能のレベルに到達したと言い、その人は終わるのであるから、自分の地位を脅かす何物にも鋭い敵意を内包する。

どんな建設的な意見にも、それを受けたら自分が劣っていると思われるのか、恐ろしくなってしまう。
この無能のレベルは、始末の悪いことに、本人は気付いていないのである。

ここまで努力して、得た地位であるから、地位が高いとその人は偉いと、勘違いしてしまう。
地位が高い人は、部下からみれば、皆の不出来、失敗を背負ってくれる人と考えているから、そのギャップは大きい。

地位は責任の重さの目安であり、それを楽しみ、部下の才能を愛し、自分より優れた部下を認める力を持つべきであり、愛情をもって、部下を叱り教え、集団のヤル気を向上させる役目を担っているのだ。

無能なボスに成ってはならない。気配りを欠かさない縁の下の力持ちこそが、真のリーダーである。
一番下から皆を持ち挙げるのだから、力は要る。バネも要る。
その行動こそが、誰もが認めるリーダーではないか?
リーダーとは、どうあるべきか等の本を読んで理解した。
判ったということと、やれる、行動を起こすこととは違うのだ。
この文章を読んで、今から行動を起こせる人は数少ない人達と思う。
しかし、この数少ない人達によって、会社も、日本も、世界を変えていくのではないか?

人の上にたつ(2)はこちら

世にも不思議な 笑いの練習【2】


笑いの時間だ。おばあさま楽しいですね。思いっきり笑ってみた。
やればできるのだ。何を格好つけていたのか?笑いながら、涙がとまらない。
オレはやったのだ!初めて自分を超越したのだ!
人間はやろうと思えば、なんでも出来るのだ。
人になんと言われようと、自分のため、家族のために戦うのだ。

「馬鹿になれれば、お前は一流だ。」
と父に教えられた27才。父の遺言の様に思い、努力してみたが所詮なにもわかっていなかったのだ。格好つけて、自分が一番可愛くて、強がり言っても臆病者でしかなかったのだ。たのしくなくても演技すれば笑える。
演技で笑っているうちに、気持ちが晴れてくる。やがて本当の笑いになってくる。
何もやらないで私には出来ない、と決めつけてしまう。
そんなことでは、自分に出来ないときめて退去して、なにも挑戦できない自分になってしまう。

こんな屈辱的なことと考えた。少々不幸と感じている自分を偽って、楽しくもないのに、楽しめそうもない相手方と手を握り、目を合わせ、ほほ笑むなど寒気のすることではないか?
しかし、やってみれば、そんな風に考えた自分は未熟者であったのだ。

人は変われる、変わるのである。
それは苦しいし、苦い体験を通して始めて自分のものにすることが出来る。
これは、学問で得る知識とは別物なのだ。
頭でっかちな自分を反省する。
この笑いの練習くらい為になったことはない。
私の皮が1枚めくれた瞬間であったと、今にして思う。

夕方7時の食事。夏であったので未だ日が高い。
10時消灯で寝床に就く。それまで同室の方と雑談するか本を読むかしかない。
60才前の同室の紳士から、(上場会社の役員の方である)相談を受けた。

自分の家族は、親兄弟、妻子供、全員自殺した。
今は、自分ひとりでやがて私も自殺するだろう。
そんな呪われた家系、自分の未来が恐ろしい。こうして、この道場で救われたい。
貴殿はどんな理由でこの道場にきたのか?
あまりにも違った境遇で返事も出来ない。みるからに健康そうなこの紳士の持つ悩み、苦しみ、なんとも慰められない悲しい人生なのではないか。

亡くなられた方々のためにも、貴方は長生きしなければなりません。通り一辺倒の言葉しかでない。
彼は静かな口調で、「そう思うし、私もそうしたい。しかし、私の親族誰もが、病気でもなく、
その瞬間まで死のうとは考えてはいなかったのではないか?と思うと、私には自信がない。私の宿命かもしれない。」
とくに悲しそうな表情もせずに淡々とかたっておられた。
明るくおつきあいさせていただく以外に、私にできることはなかった。

室の皆さまにしてさし上げられることは、布団の上げ下ろし、裏庭で干して差し上げること。それしか、私にできることはなかった。それが、今の自分の力であった。
10時に寝るには早すぎる起床は5時半だが、眠れない。

気がつくと、静かにきれいな声が拡声器から流れてくる。なんて、美しい優しい声だろうか?うっとりと聞き入ってしまう。
宗教っぽく嫌いな話だが、この声の魅力に負けて、聴き入ってしまう。
うろ覚えであるが・・・。
なんでも、谷口雅春45才くらいに悟ったイメージが言葉になっている様だ。

汝、天地一切と和解せよ。
汝、天地一切と和解せよ。
汝が苦しい時、悲しい時、あるいは重い病魔に犯されたとき、汝は神を頼むであろう。
我は、汝の元へ行きとうても、よう行かぬ。されど、汝が天地一切と和解したとき
我は汝の元に在る。我は汝なり、汝は我なり。
初日に聞いた時は全く意味が理解できなかったが、3日目の夜、突然この意味が判った・

天地一切を許し、和解するとき、その人は神になれるのだと。
嫌な奴、嫌いな業務、いつも叱る上役、反抗する部下。人々はいつも自分中心で自分の都合の悪いこと、思いのままにならない人やこと、自分より能力を有する人を認めない弱さ、和解できないことに囲まれて生きている。
小さなことに「こだわって」自分にも他人にも、不満が増幅する。

楽しめない自分、人から好かれない自分がいる。
この教えは、一生は一度しかない。出会える人は限られている。どんな人でも、許す練習、自分の周りで起きたことは、どんなことでも、それは自分のせいかもしれないのだ。と、許す練習をする。百に一つでも人の良いところを見つける努力をする。
和解するのだと、心の中で叫び、天地一切と和解を心がけてみる。
気がつけば、千分の一でも神様に近づけた自分がいるかもしれない。
病気をしない健康な自分になっていたのかもしれない。病魔には犯されないのだ。
と、以来私は、この言葉の素晴らしさをかみしめている。

感謝の練習 | 世にも不思議な 笑いの練習(1) | 世にも不思議な 笑いの練習(2)

感謝の練習


私の様な俗人が、まじめな課題に取り組むのは、いささか恥ずかしい気がする上に
そんな資格があるのか?と思われても仕方のないことなのであるが。

37歳のときである。私が勤めていた会社(1800人の従業員・年商400億円)が倒産した。
予想されたことであったが、他に例をみないこのユニークなFASHION産業は、たとえ経営が困難になったとしても、どこからか救済の手が伸びくると、楽観的な見方もあった。
しかし、1978年4月6日、紛れもなく倒産した。

その後3~4か月、後輩たちの再就職に奔走したが、自分自身のことは最後になってしまった。どこかで拾ってくれる企業があるかもしれない。と考えたが、いつまで経っても声は掛からない。生活を支えなければならない。妻と子供3人、5人家族である。

なにもなければ、包丁研ぎでもやるか?研ぎには、子供の頃、母の料理食堂の手伝いで少しは経験もある。しかし、それで一家5人の生計が・・・?
母がラーメン屋からスタートして料理店をやっている。私も、ラーメン屋から始めてみるか?と思い母に打診。にべもなく断られてしまった。ラーメン屋は60才からなら応援もする。貴殿は37才、もっと世のため、人のために働きなさい。

万策尽きてしまった。12年もVANに努め、それなりの実績を残したつもりであった。
あまりにも猛烈社員でありすぎたのか?私を快く迎えてくれる業界の会社はなかったのだ。しかし、なんとか生き延びなければならない。

一通の手紙がきた。
ヘッドハンティングされる様な大物でもない。
人材銀行というのだろうか?人材紹介の会社からである。

物流の心得があるので、ヨーカ堂の物流センターはどうか?
入社には、当時の伊藤社長の面接が必要で、一か月後である。
もうひとつは、当時、世界に飛躍するスーパーヤオハンであった。
土地購入のローンもあり、銀行からは、一日も早く収入の確定を促された。

ヤオハンの和田社長は即面接可能。
静岡県の三島市が本部である。都落ちだ、少々寂しい。しかし、そんなことは言っていられない。とにかく収入をゲットすることが急務。
役員面接8人中7人には不合格。こんな生意気な奴!と思われた様である。
(後に知ったことだが、役員に口応えすることなど、100%不可の社風であった)
最後の和田社長面接では
「貞末さん、私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。だから、私はあなたを採用したいと思います。そんな人が私はほしかった。しかし、貞末さん、規律乱すことなく、和を大切にしてください。」

次に社長のお母様、和田かつさん(おしんのモデルに成ったひと)に会うと、
「貞末さん、あなたはきかん気な顔をしている。仕事も良くやってくれるだろう。しかし、会社のTOPは和田和夫だ。それを大切にして、和田和夫を助けてほしい。」

最後は副社長である和夫社長の弟。
「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。
しかし反論は1週間まってやってくれないか?」

これで晴れて入社。首はつながったのだ。
しかし、これで終わりではなかった。河口湖の練成道場で10日間勉強してほしい。
そのレポート提出で入社が決定される。
谷口雅春という方が、悟りを開き広めた生長の家道場であった。

やれやれ、宗教は大嫌いときている。
道場の門をくぐり、入口に立つ3人の女性がいきなり手をあわせ「ありがとうございます」
私はまだ何もしていない。感謝される覚えはない。戸惑ってしまう。

いきなり、教材15,000円の購入が決められている。
10日分の食券30食。A3の大きさで切り取り線が入っている。
これを全部使わなければならない。気の遠くなる様な量だ。
部屋は1階奥の6号室、誰も案内してくれない。
部屋を探しながら廊下をあるく。すれ違う人たちが皆、私に挨拶する。
皆が皆、手を合わせ「ありがとうございます」
何なのだ。狂人の世界に迷い込んだのか?
それにしても、皆、もの静かできれいな佇まいだ。

部屋に入っても誰もいない。6人部屋と聞いた。所在なく座っていると、
部屋の拡声機から何やら人の話し声が聞こえてくる。講堂があるらしい。
近づいてみると驚いたことに約300人もの人が講義を聞いている。
語り手は姑を殺して刑期を終えた50才くらいの女性であった。
凄まじい反省と後悔、腸が捻じれるような号泣、刑は終えたが、私は許されるべきてはない。何故あの様な恐ろしい事をやってしまったのか?
人を殺してまで自分は楽になりたかったのか?何故、私に堪える力、どんな小さな事でも姑に感謝の気持ちが持てなかったのか?全部が全部、何故否定してしまったのか。
地獄に落ちたが救われたい。すべてを皆の前で懺悔して許されたい。

私は茫然として立ち竦んでしまった。
次は、ガンに侵され余命1カ月位の老人の話であった。
あと1カ月、自分の人生、その犯してきた罪の深さ。人は殺さなかったが、私は許されるべき人間ではない。この道場で生のある限り、償いの日々を送りたい。この様な主旨であった。300人の方々が何らかの理由で、罪の意識から解放されて救われたい。懺悔して救われたいと思っているのであった。多くの重病の方々も最後の救いを求めていた。

私は37才で会社が倒産し、無一文、一からやり直しの人生。しかし、兄弟は何事もなく裕福に暮らしている。私の様な不幸な運命は他に無いだろうと今まで思っていたが、何という光景であろうか?私の不幸などというものは、とるに足らないことではないか。
私の心も体も健康だ。妻や子供たちも健康だ。これに勝る幸せがどこにあるのだろうか?私は幸せなのだ。

道場での話は一旦筆を置いて。感謝についてである。

ありがとうの言葉の裏に感謝がある。会社を設立し、電話一本、机一つでスタートする。
誰からも何日も電話一本もかかってこない。SMRオフィス、経験を生かしてコンサルの仕事もやろう!しかし、電話はいつまでも鳴らない。
4~5日経っただろうか?電話が鳴った。思わず電話に飛びついた。
有難う、電話下さって。電話一本が砂漠のオアシスの様なものだ。有難い、感謝感謝だ。

当たり前のことと思いがちであるが、考えてみれば私たちの周りには、感謝に値することがあふれている。何事にも感謝出来ることを探し、感謝する練習を始めることだ。
そうすれば、沢山の感謝を発見するスキルが上達する。
こんなにたくさんの感謝を探し出すことが出来れば、不平や不満、相対的に比重が下がってくる。感謝できれば、それは幸せに通じている。感謝出来れば「ありがとう」が自然に声になる。

人生には、嫌なことや自分に失望することも多くある。
又、それによって、希望を失ってしまったりする。
そして、自分の不幸の比重が増加する。そんな時こそ、周りに満ち溢れるだけある感謝すべきこと、自分が健康であること。親兄弟が健在であること、友に恵まれていること、
優しい自分を失っていないこと、未だ私は生きていること、生かされていること、そんな沢山の感謝出来ることに囲まれている。
それを、練習を重ねて探し出し素晴らしい健全な精神を養うことである。

“感謝の練習”
こんな考えてもいなかったことも、練習があなたを救ってくれると確信している。

感謝の練習 | 世にも不思議な 笑いの練習(1) | 世にも不思議な 笑いの練習(2)

成りたい自分に成る【最終章】


私のコラムを読んだ人から「私にはもう一人の人間(自分)が居ない。どう考えたら良いのですか?」
予期しない疑問に一瞬戸惑ってしまった。この人はどんな生き方をしてきた人なのだろうか?

駄目な自分を励ましたり、慰めたりしてくれる母親のような存在がもう一人の自分なのだが、その様に考えたことがないのかもしれない。もう一人の自分を騙すことは出来ない。世間は誰も本当の事を言ってくれないが、もう一人の自分は正直に欠点を指摘してくれる。

もう一人の自分はいつも自分の味方なのだ。自分の欠点も良い処もみんな知っている。
親の庇護下にある時は、意識しないこともあるのだろうが、一人で社会に出て自立し、自分の力で生きていくとなったら、強力な味方が必要だろう。それがもう一人の自分である。一生涯付き合ってくれる理想の友人だ。一方、永久の厳しい批判者でもある。
駄目な自分を決してあきらめないで叱咤激励してくれる。一人ぼっちになったとき、励ましてくれる。もっと頑張りなさい。やると決めたのに何故やらないのですか。それは他人のせいではありませんよ。あなたが弱いからですよね。
あなたは善人だといっているが、本当は違うかもしれないという事を知っていますよね。嘘はついていないと強弁しましたが、本当は嘘つきましたよね。
明日からは勇気を出して、正直にやりましょうと決意しても、そうして又、同じ事を繰り返す自分に少々嫌気をさしてくる。その時、何とあなたは駄目な人なのですかと厳しく叱ってくれるのも、もう一人の自分なのです。

そうして何時の時点からか、自分はあんな人に成りたい、誰かを理想として目標を持つように成ってくる。自分の成長と共に、理想像も変わってくる。成りたい自分の具体像が鮮明になってくる。自分が成るべく、具体像の一つ一つに近づき克服しようとする。
例えば、誰からも好かれ、異性からもてるという事とは一体どんなことなのか、考える事が始まる。

好かれる要素や、もてる要素を深く掘り下げ、はたして自分にはその要素があるのだろうか。生まれつきの脚の長さや顔型はどうすることも出来ない。それが全てではない筈だ。誰からも好かれ、異性に人気のある人と、自分の距離を考えてみる。そんな人に近づけるには、何か必要なのか、どんな努力が必要なのか。このようになりたい自分への修業が始まる。成りたい自分はこれだけではない筈だ。

ここまでの話は自分の事だけを考えている例だ。自分がこの世に存在することが、他人にとっても意義のある自分に成らなければならない。もしかしたら、それこそが自分が世の中に存在する意味なのではないか。生まれてきた以上は、自分の存在する意義を見つけ出し、他の人達からあの人が居なくては困ると言われる様な存在に成りたい。

自分の存在する意義を発見したら、その人は強くなれる。誰にも負けない信念が生まれ、努力することや苦労することも楽しくなってくる。真の生き甲斐が生まれる。

この大テーマに挑戦するとしたら、どんなことから始めるのか、どの様なことが他人からみて価値のあることなのか。考えて考えて考え抜かなければならない。
生まれて何となく生きてきた。考えると言っても、こんなことを考えた事もなかった。毎日の生活で一喜一憂していたが、いつまで経っても同じような些細なことに悩んだり、悲しんだりする。27歳になったが、17歳の時の自分と全然変わっていない。成長していないのかもしれない。こんなことを10年後も続けているのかなあ。

一体自分とは何者なのだろうか。それが分析出来なければ、成長処方箋が書けない。
自分とは何か、他人とは何か、異性とは何か、友人とは何なのだろうか。私に親友はいるだろうが、自分がそう想っていても、相手はどう思っているのだろうか。

幸いにして、人間には考える能力が与えられている。考える事の無い生活は、動物と同じなのではないか。

さあ皆様、考えましょう。今からでも遅くありません。


メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

記事の検索

アーカイブ

PAGETOP
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.