戦時中は多くの男の子同様、大きくなったら「兵隊さん」になるんだと決めていた。
立派な軍国少年の1人だった。

「鬼畜米英」と教え込まれていたので、アメリカ兵は赤鬼だと思っていた。
それがひと目で嫌米から親米に寝返ったのだから、いいかげんなものだ。

生まれて初めて米国陸軍の兵隊を見たのは敗戦直後1945年9月の初め、
疎開先の栃木県でのこと、くろすとしゆき小学5年生。
小学の前が国道で、午前中からゴウゴウと大音響が教室内に響き渡っていた。
昼休みに出てみると、国道は進駐軍の車輛が占領していた。

オリーブドラブ ―その頃はしゃれた色名など知る訳もなし、日本陸軍よりもグリーンがかった素敵な色と思った―
のトラックやジープが低速で東北目指して行進しているところだった。

車上の兵隊たちはニコニコとわたしたちを見ていた。
その顔は赤鬼どころか、日本の兵隊より優しい目をしていた。(つづく)