「日活国際会館」から晴海通りを隔てた一帯は、1950年代半ばまでは外国租界の雰囲気に包まれていた。というのも、帝国ホテル、宝塚劇場はじめ周辺のビルのほとんどは米軍に接収され、道行く人のほとんどが米国人、日本人は近寄らなかった。

当時、日比谷といえば外国人街で、聞こえてくるのは英語だった。アメリカかぶれのわれわれは、日比谷で異国情緒を味わいたくて辺りをうろついた。帝国ホテルは「OFF-LIMITS」だったが、近くには「CIE図書館」「三信ビル」など、日本人が出入りできる場所があった。CIEでアメリカ雑誌を見て、三信ビルの「インターナショナル」でアメリカ製用品雑貨を眺め、「アメリカン・ファーマシー」でアメリカの家庭用品などを「見学」させていただくのが行動パターンだった。そのころは1ドル360円、高くてキャンデーだって買えなかった。ジャズLPが3,000円もした。それに比べればいまは天国だ。

(おわり)