Maker's shirt 鎌倉

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くろすとしゆきオフィシャルブログ

187:夢中になったアメリカ喜劇映画


わが中学・高校時代、頭の中は映画とジャズでいっぱい、勉強が入り込むスペースなどなかった。いまだったら間違いなく落第(いまは落第といわないらしい)だ。あのころ(昭和20年代)は学校ものんびりしていたし、話のわかる-ということは甘い-教師がいてくれて助かった。

夢中になっていた映画というのは、たわいもないアメリカ喜劇。映画通のクラスメートはフランス映画の話題で盛り上がっていたが、わたしはあのテの辛気臭い映画は苦手、ノー天気なのが好みだった。

思えば1950年代のハリウッドは黄金時代、優れたミュージカル作品や、愉快な喜劇映画が目白押しだった。日本では、戦前からのチャップリンはじめ、極楽コンビ、マルクス兄弟などと、戦後派との競演の時代。兄たちのごひいきはマルクスだったが、わたしは笑えなかった、センスが古いと感じていた。

ドタバタが終わり、笑いも転換期を迎えつつあった。

(つづく)

186:「炎のランナー」の2人の若者


「炎のランナー」のストーリーは、パリ五輪陸上短距離で祖国イギリスに金メダルをもたらした2人の若者の実話。

ユダヤの血をひいていたために、差別と偏見を受けてきたケンブリッジ大生ハロルドにとって、走ることは偏見に勝利することでもあった。一方、宣教師の家に生まれたエリックは、神のため、信仰のために走るのだった。

映画は1920年代のカレッジ・ルックと、スコットランドのツイード中心のカントリー・ルックをたっぷり見せてくれる。殊にケンブリッジ大は貴族の子息が多く学ぶ大学だけに、出てくる服が素晴らしい。新入生歓迎の晩餐会での燕尾服、クリケットの服装、キャンパス内での学生たちの日常着など、見応えあるものばかり。

パリ大会へ乗り込む英国選手団のユニフォームもカッコいい。ネイビー・ブレザー、クリケット・セーター、クラブ・タイ、ホワイト・トラウザーズ、ボーター(カンカン帽)など・・・。昔の「男服(おとこふく)」はお見事のひと言。

(おわり)

(c)Warner Bros. (c)20th Century Fox

185:1924年パリ・オリンピック


2024年五輪開催都市に決定したパリは大喜びしている。28年では駄目、24年でなくてはならない理由が彼らにはあった。

1924年、第8回大会がパリで開催された。なので、なんとしても100年目の記念すべき大会を、ロサンゼルスに持っていかれたくなかったのだ。

1924年7月5日、第8回オリンピックがパリで開催。日本からも19人の選手が参加した。織田幹雄は3段跳びで陸上初の6位入賞を果たした。すごいことだ。

この年のパリ大会の模様は映画「CHARIOTS OF FIRE(炎のランナー)」(1981年製作)に詳しい。監督・ヒュー・ハドソン。音楽・ヴァンゲリスほか。81年、「アカデミー賞」の作品賞、オリジナル脚本賞、オリジナル作曲賞、そして衣装デザイン賞の4部門受章する。

衣装デザイン賞に輝いた服装は見応えあった。20年代といえば、紳士服の黄金時代、そのころの服だ、悪い訳がない。

(つづく)


(c)Warner Bros. (c)20th Century Fox

184:商業化した現代オリンピック


国際オリンピック委員会(IOC)は7月31日、2024年大会招致をパリと争っていた米国ロサンゼルスと、28年五輪の開催で合意したと発表した。IOCが7月に承認した異例の2大会の同時選定案を受け、24年パリ、28年ロサンゼルスでの開催が確実になった。

24年五輪招致では巨額の財政負担を嫌い、3都市が立候補を途中で取りやめた。招致熱の冷え込みに危機感を抱いたIOCは、7月の臨時総会で、パリとロサンゼルスとの合意を前提に、24年と28年大会の開催都市を同時に決めるという苦渋の案を承認していた。

オリンピックを開催するには巨額な財政負担が必要な現在、開催都市に立候補する国はなくなり、オリンピックは存亡の危機に陥るだろう。あまりにも商業化した現代オリンピックはいま、原点に戻りシンプルに「力」と「技」を競い合った第1回アテネ大会(1896年)を見習うべきだ。

(つづく)

olympics
(c) paris2024  (c) la28

183:VAN浴衣


そんなある日、石津謙介社長から「VAN浴衣をやろう」と言われた。浴衣となると生地の仕入れから縫製まで別ルートだ。あれこれ準備に手間取ったが、なんとか発売にこぎつけた。

柄は3つに絞り、サイズはM寸のみとした。「畳紙(たとう)=厚手和紙をつかった着物用パッケージ」にVANのロゴを入れ、数量限定で販売した。銀座「テイジン・メンズ・ショップ」のウインドウにディスプレイされたのを見た時は苦労が吹き飛ぶ思いがした。

VANは悪ノリして「VANゆかた奇席」を開いた。「イイノ・ホール」(千代田区)という大ホールを借りたのだから、いま思えば素人のくせにいい度胸をしていた。出演は円鏡、志ん朝そして円生という大物。

VAN浴衣を何着つくったかまでは覚えていないが、完売し、話題になった。いま思えば1960年代後半のVANは楽しい会社だった。やりたいことをやらせてくれ、こちらも失敗など考えたこともなかった。

(おわり)


MEN’S CLUB 第55集(1966年7月)より

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