Maker's shirt 鎌倉

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くろすとしゆきオフィシャルブログ

179:夏場は冷やし中華


「冷やし中華」の貼紙が中華料理店の店先きで目につく季節。

わたしは冷やし中華のファンで、冬場はラーメン、夏場は冷やしが定番。

先日の朝日新聞土曜版に「好きなのはそうめん?冷やし中華?」のアンケート調査結果が公開されていた。
 個人的には、先に言った通り「冷やし中華派」なので、そうめんと比べるなんて問題外、と思った。ところがなんと、1771人のうち55%の人が「そうめん派」だったのにびっくりした。

というのも、麺類はそば、うどんから始まり韓国の「冷麺」、中国の「麺」各種(ラーメンは日本製らしい)、イタリアの「パスタ」など、どれも好物なのだが、そうめんだけは嫌いとは言わないが、自らすすんで食いたいとは思ったことがない。そうめんに似ているが「冷や麦」を東京人は夏場に食べる習慣が昔はあった。冷や麦なんてまだ売っているのだろうか。

(つづく)

冷やし中華はじめました

178:生誕100年 長沢節展


「生誕100年 長沢節展」が4月から文京区の弥生美術館で開催された(最終日6月25日)。

弥生美術館は、本郷(文京区)東京大学キャンパスの裏にある小じんまりした美術館。世界の名画を展示するような場所ではなく、ひとひねりした企画展で一部の人たちに支持されている。セツ先生の回顧展を開くにふさわしい。

同展では、セツ先生が1950~90年代に描いた人物デッサンや、ファッション雑誌の原画を中心に、水彩画や「セツ・モード・セミナー」の資料など約300点を展示。

初期のデッサンの中には見覚えのあるものが見られ、時計は一気に60年前に戻った。懐かしかったのは「セツ・モード・セミナー」の卒業証書。これだけは捨てずに大切にしまってある。また、教室のロゴマークの入った紙袋。持つのが自慢で、目立つように抱えて歩いた日々を思い出す。セツは、青春の同意語だった。

SetsuNagasawaExhibition
(c)https://setsu-mode.jimdo.com/

177:「東京VAN」企画室に入る


穂積和夫さんとの出会いは、わたしの人生を変えた、運命的とでもいうのだろうか。

穂積さんのおかげで「MEN’S CLUB」と仲良くなれ、穂積さんをリーダーとする「アイビー・クラブ」が誌上に紹介されるラッキーな出来事につながったのである。

そのご縁で原稿を書かせていただくことになった。生まれて初めて自分の書いた文章が誌面に載ることに。完全に舞い上がったが、さめてみると不安だらけ。文章はどう書けばいいのでと、セツ先生に救いを求めに言った。「お前のことなんか誰も知らない。間違ったって平気」。このアドバイスで肩の力は抜け、脱力文をつづった。大学4年の秋のことだ。

「MC」を通じて「VAN」を知り、奉公していた「テーラー山形屋」を退社、出来たばかりの「東京VAN」企画室に入った。1961年5月である。

長沢節――穂積和夫――MC――VANへとつながり、いまのくろすとしゆきがある。

(おわり)


(c)MEN’S CLUB vol.35 より~昭和39年3月1日発行

176:穂積和夫さんとの出会い


「長沢節スタイル画教室」の記事が新聞に掲載されたのは1年後くらい。早速電話をした、入学資格などを聞くためだ。電話口の男の人はこう言った。「今度の土曜日からおいで」。あまりの軽さに気が抜けた。後で分かったのだが、電話の主は先生ご本人だったのだ。

こうして、めでたくスタイル画教室の生徒になった。教室は1年前に開校したばかりで、生徒は20人ぐらい。毎土曜日の午後、ファッション・ドローイングに汗を流す日が続いた。

教室の空気にも慣れ、周りが少し見えるようになった。生徒のほとんどは女性、男性は先生を入れて2~3人。その中に1人、細身のおしゃれさんがいた。ハンチングに太い黒縁メガネ、4~5才上だろうか。ある時、恐る恐る話しかけてみた。話してみたら気さくな人で、メンズファッションに造詣が深いのが分かった。

後々、わが人生に大きな影響を与えることになる穂積和夫さんとの出会いである。

(つづく)

175:長沢節先生のご命日 


6月23日は恩師長沢節(1917~99年)先生のご命日。仏式でいえば十九回忌に当たる。

訃報を聞いた時はわが耳を疑った。長沢先生は万年青年で、およそ死とは縁遠い方だと思っていたからだ。

セツ先生(初期の生徒たちは親しみを込めてセツ先生と呼んでいた)を知ったのは1954年、大学1年の時だった。創刊第2集「男の服飾読本」(現MEN’S CLUB)のグラビアページだった。「セツ・スタイル」とタイトルしたページで、長沢節のファッション特集。変わった人との印象を受けた。だが、わたしの目を引きつけたのはセツ・スタイルではなく、背景に写っている数点のドローイング。ひと筆描きのようなタッチの人物画だった。

絵を勉強したいと思っていたが、具体化されてはいなかった。長沢節こそわが師と勝手に決め、雑誌を手本にまねた。手本なしで描けるくらい描いて描いて描きまくった。

(つづく)

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