Maker's shirt 鎌倉

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くろすとしゆきオフィシャルブログ

266:程の良いピアニスト 


アンドレ・プレビン 2019年2月28日死去、89才。

プレビンはわたしが大好きなジャズピアニスト。どこが? と聞かれたら、「程がよいとこ」と答えるだろう。

ピアノにかぎったことではないのだが、ジャズミュージシャンはどこか変わったところのある人が多いし、また好まれる傾向がある。演奏は誰にもまねのできないオリジナリティーに満ちた、個性的でなければならない、といわれるのはわかる。

個性は尊重されるべきとは思うが、わたしには「ほどほど」がいい。これはジャズに限ったことではなく、衣食住のすべてにいえる。個性的といわれる服装は苦手、ごくごく普通がいい。食べ物も同じ、凝った料理も素晴らしいが、毎日だったらどうだろう……。平凡な方がありがたい。

 アンドレ・プレビンは、毎日聴いて飽きることを知らない、程の良いピアニストだ。

(つづく)

265:半ダース入りの「バド」


わたしの舌は鈍くて何を飲んでも分からない。だが、昔は銘柄は決まっていた。それは味が好みという訳ではなく、ビールといえば○○と、インプットされていたからだ。

父親はビールといえば「キリン」の人で、それも缶は駄目、瓶ビールでなければ……だった。それを見て育ったせいか、長い間キリンを愛飲した。ラベルの中国の空想上の動物「麒麟」の絵が好きだった。そういえば、学生時代、横須賀でいわゆるスカジャンの背中に、あのキリンを刺しゅうしたのを見てびっくりした記憶がある。

外国人にはカッコよく見えたのだろう。人のことは言えない。わたしも1980年代、「BUDWEISER」にほれ込んでいた。ビールはもちろん、おまけのロゴ入りベースボール・キャップやトートバッグが欲しくって、半ダース入りをよく買った。味ではない、デザインがバタ臭くて夢中で集めた。

ところで、いま「バド」はどうしているのだろう。

(おわり)


出典:Japan Archives Association

264:わたしは「とりビール」派


「ビール類の出荷14年連続で最低」。新聞の見出し。

ビールをいまの人たちは飲まなくなったのだ。いわれてみれば居酒屋で「とりあえずビール」の声が聞かれなくなって久しい。代わってハイボール、焼酎など、オーダーはいろいろに分かれているようだ。

わたしは「とりビール」派。食事のスターターはビールと決まっている。それもずい分長い、社会人になってからいままで続いている。ある種習慣化し、ビールがないと落ち着かなくなっている。

新聞によると、ビール大手5社が発表した発泡酒と第3のビールを含むビール類の2018年の出荷量は前年比2.5%減の3億9千3百90万ケース。14年連続で最低を更新し、1992年の統計開始以来、初めて4億ケースを割ったという。

メーカー別シェアは、アサヒビール、キリンビール、サントリービール、そしてサッポロの順。

(つづく)

263:東京初の「ハンバーガー・イン」


時は流れ、1950年代後半、東京に初の「ハンバーガー・イン」がオープンした。朝までやっているので、家で眠るのがカッコ悪いと思い込んでいる若者たちでにぎわっていた。

六本木のハンバーガー・インは後のことで、初めての店は乃木坂(港区)の住宅街にポツンと建っていた。カウンターだけの小さな店で、看板通りハンバーガーしかない。

トレンド通の友人のお供でついていった。目の前に「丸パンのサンドイッチ」が出てきた。友人は手慣れた様子、両手でパンをつかみ、大口を開けてかぶりついた。いまの「恵方巻き」を食うのと同じだ。

その時知った。立川の米軍基地で食ったのは丸パンのサンドイッチではなく「ハンバーガー」だったのだ……と。

またまた時は流れ、1971年7月20日、銀座三越の1階に「マクドナルド」1号店が華々しく開店。日本ハンバーガー史に第一歩を記した記念すべき日となった。

(おわり)


出典:http://history-crew.mcdonalds.co.jp/

262:はじめてのハンバーガー


トランプ大統領ほどではないが、一時期「ファストフードは偉大なる米国の食事」と思い込んでいた。アメリカ大好き、ジャズ大好き、アイビー大好きだったころだ。

ハンバーガーを初めて食ったのはいつごろだったか…。後に、あれがもしかしたらハンバーガーだったのでは、と思い当たる出来事があった。

高校生のころ、ジャズバンドをやっていた。学友5人で、ジャズらしき音楽をやった。そのころ(1950年代半ば)東京、その近郊には米軍のキャンプがいくつもあり、バンド需要は豊富。われわれのような素人学生バンドにも仕事が回ってくる夢のような時代。

立川に米空軍の大きなキャンプがあり、わがバンドは定期的に雇われた。生まれて初めて人様の前で演奏し、興奮状態で控え室に戻った。「おつかれさん」といってコーラと「丸パンのサンドイッチ」を出してくれた。
「マイウ!」全員夢中でかぶりついた。

(つづく)


1954年 左端のドラムスがくろすとしゆき

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