石津社長の厳命でマドラス・ジャケットが完成したが、食いつきは悪かった。
メンズショップのウインドーにディスプレイされてはいたが、買う人はいなかった。

不人気だったマドラスがぼちぼち売れ始めたのは1964年、
東京オリンピックの夏であった。
マドラス製品ならなんでも売れるようになったのは67~68年、
マドラスを手掛けてから5年の月日を必要とした。

あのころの若者たちはいまと違って用心深かった。
新しい商品にすぐに飛びつくことはなかった、じっくり見極め、納得しないと買ってくれない。
思えば、こんな堅実なユーザーによってわれわれは鍛えられ、
モノづくりの厳しさを学ばせていただいた。

あれから半世紀、いまも熱烈マドラスファンは全国にちらばっている。
ホンモノを知っているコアなアイビーファンに向けて、近々マドラス・ジャケットをお目にかける。
久々にいいインド製マドラス地が手に入ったので、ほんの少しだが服にした。
(おわり)