6月23日は恩師長沢節(1917~99年)先生のご命日。仏式でいえば十九回忌に当たる。

訃報を聞いた時はわが耳を疑った。長沢先生は万年青年で、およそ死とは縁遠い方だと思っていたからだ。

セツ先生(初期の生徒たちは親しみを込めてセツ先生と呼んでいた)を知ったのは1954年、大学1年の時だった。創刊第2集「男の服飾読本」(現MEN’S CLUB)のグラビアページだった。「セツ・スタイル」とタイトルしたページで、長沢節のファッション特集。変わった人との印象を受けた。だが、わたしの目を引きつけたのはセツ・スタイルではなく、背景に写っている数点のドローイング。ひと筆描きのようなタッチの人物画だった。

絵を勉強したいと思っていたが、具体化されてはいなかった。長沢節こそわが師と勝手に決め、雑誌を手本にまねた。手本なしで描けるくらい描いて描いて描きまくった。

(つづく)