Maker's shirt 鎌倉

貞末良雄のファッションコラム

紳士服は英国に学ぶ【2】


イギリスの貴族達は広大な土地を有し、それを貸して得る収入で悠々の生活をしていた。
お金を稼ぐ要もなく1年の大半は田舎の広大な土地でハンティングに明け暮れ、体を鍛え、 いざ戦争という時には真っ先に戦場に馳せ参じ命を賭けて戦った。
ノーブレスオブリージュ(高貴なる者に伴う義務)、日本の昔の武士道みたいなものがむしろ庶民の尊敬を集めていたのかもしれない。

フランスの貴族はあまりにも自分達と違う彼らの生活態度、そして彼らがロンドンに滞在する一期間正装して着用するスーツ、 一見して無骨なスタイルが彼らにとってこの上もなく美しい物に見えたのではないだろうか。
彼らはフランスに戻り英国調のスーツシステムを礼賛し、キュロットを着用しなくなった人々にもあいまって強い影響力を持って伝播していった。

カントリージェントルマンは美しかった、すなわちいつ戦闘が始まってもよいように、身・心は鍛錬されていたのである。
この人達の着用するスーツ姿はこれまでの貴族からみると、天と地の差があったのではないだろうか。
宮廷で酒と美食に耽っていた貴族は、梨型すなわち下腹が出ているということ、短足、デブが基準であり、これが一般的であったから驚きである。

英国では1750年頃からポンペイ等の遺跡の発見によって発掘されたアテネのアクロポリスにあった古代ギリシャの大理石の彫刻、 アポロン、ダビデ裸像の美しさが英国紳士の究極の体型となっていく。
この体型にこそスーツ姿がダンディズムとして進化していくのである。
仏国の紳士達もやがて同じ思いにとらわれていく。
紳士たるべく男性の当然の帰着であり、やがて英国流の紳士服飾術が世界に拡大していくことになったのである。

紳士服は英国に学ぶ【1】


そのネクタイメーカーはBREUER、社長はALAIN。
私はアランに「何故あの英国嫌いの仏国人がメンズウェアは英国調なのですか?」と問うてみました。
さらに、「フランスにはオペラ通りに有名なオールドイングランドという店がある。博物館のように古いコレクションから現代のものまで巨大なショップで今も栄えているのは何故ですか?」
また「婦人物では成功していないラルフローレンショップのMEN’S WEARは大変成功していますがそれは何故ですか?」 「確かにフランス人は英国人の無骨さや食べる物に対する無頓着さを軽蔑すらしていますね?」
彼の会社は1890年創業で、米国ではブルックスブラザース兄弟が確かボストンで仕立屋をこの前後に開業している。
アランは「英国の服飾が古い伝統もあり良いからだ」と応えた。
私は「スーツの神話」で語られている歴史考証をさらに噛み砕いて次のように説明した。

「メンズファッションの起源【1】」にあるように英国では1666年10月7日 チャールズ2世が宮廷における紳士の服飾をスーツシステムとした。この服飾術は隣国のフランスではこれらの服飾は約200年も全く受け入れられないでいたのであった。

時は1789年、フランス革命勃発。華美に耽け贅を極め、堕落した貴族に反発。サンキュロット派が革命の旗手となった。サンキュロット(キュロットを着用しない)派はこの頃貴族の特徴であったキュロットを着用する人々を皆殺しにした。
これ以降貴族はキュロットを着用しなくなったが、 一方難を逃れ隣国のイギリスに逃避した貴族は英国のカントリージェントルマンのライフスタイルにいたく感動した。もちろんフランスのようにこの国では革命は起きなかった。

国際社会における 洋装着用技術の重要性


私がメンズファッションの基礎知識で強調したいのは、この洋装着用技術が国際社会で活躍する場合、私達日本人の想像を越える重要性を持っているからである。

私の体験など取るに足らないものではあるが、幸いにも紳士服飾アパレルとして一世を風靡したVAN JACKETに就職し、 社長であった石津謙介先生から欧米社会に接して行く時の「何時、何処で何を着ていくか」(このタイトルで出版もされている)初対面の最小限のマナーとして教わることが出来、何年か後にニューヨークで米国ブランドライセンス取得交渉の折、 進展しない状況の中で、先方の社長から二人でと夕食を誘われ、「仲介の日本人の服装がどうしても納得出来ないでいたが、君の服装を見て、私の服作りやファッションに関する自分の哲学が理解してもらえるのではと直感した。
君が本当に責任者としてやるならライセンスを与えよう」こうして長く続いた交渉は、私が現れてその晩に決着したのであった。

仲介の人にはこのことは申し上げることも出来なかったが、 その後、欧米の方々との交渉時にも何時も服装の第一印象が交渉を有利に導けたことは石津先生のお陰であり、感謝は深くなる一方でした。
私は益々清潔で礼儀正しく、さらに国際社会における服装着用に気配りするようになったのです。

今、フランスの著名なネクタイメーカーとの輸入提携をすすめていますが、やはり私達のスタッフ数名が交渉の場に臨んだ時、 先方の社長がその服飾を見て、驚嘆感銘し、言葉を交わす間もなく交渉の進展がなされたことは紛れもない最近の事実としてお伝えしたいのです。

2002年9月からはこのフランスネクタイメーカーとの共同企画のネクタイがメイドインフランスで販売される予定であります。
このフランスのネクタイメーカーが110年の歴史を持ち、何故英国のブリティッシュテイストのタイを造り続けているのか、あの英国嫌いのフランス人がと思うのでありますが、フランス人男性といえども紳士服は英国に学ぶ、まさに英国におけるジェントルマン道が世界の基準であることの証明のようにも思えます。
そのルーツは次回に譲ることにいたします。

メンズファッションの起源【4】


我が日本では、この洋服が明治4年の宮中会議で羽織袴から洋服を正式の制服とすべしと古い伝統を断ち切って決定された。
それ以来、皇室関係者、政府近代化に伴う新しい職業に携わる人々の制服として洋装が広がっていくことになる。
もちろん英国がお手本である。

当然この時代の洋装は1870年頃であるから、今からみると完全にフォーマルウェアの装いであった。
従って、シャツは白しかなく、「白=ホワイトシャツ=ワイシャツ」と呼ばれ、一方、フォーマルのシャツ衿型は、カットアウェー(ワイドスプレッドカラーのさらに角度の広いもの)カッターシャツとも呼ばれたのではないだろうか。

洋服は羽織袴に比べて、充分機能的であり世界の人達と交流する時に違和感を与えない、列強の国々とも同一線上に並んだ誇りや、相手に対する礼儀としても当時の人々はその有用性を強く感じたのではないだろうか。

高貴な存在である人々や新しい社会における支配層の職業人が着用するこのフォーマル性の高い洋服はそれに憧れを抱く庶民によって受け継がれて急速に伝播して行ったのである。
とは言っても、それは一部の人々に限られ、洋装が日本国中に広く浸透していったのは、昭和26年に衣服の配給制度が終了し、朝鮮動乱による好景気で、ようやく日本人も食べることだけが目的の生活から脱し、服を着ること、お洒落に装いたいという欲望に目覚めた昭和30年代以降(1955年)ということになる。

私達日本人は洋装の歴史を日本全体で体験し始めて、いまだ50年もたっていないということを自覚せねばならない。
すなわち、私達には洋装の遺伝子を持っていない民族なのである。
この謙虚な自覚こそが素直に学ぶ姿勢となり、洋装術の進歩を促すものと思っている。

メンズファッションの起源【3】


男の戦場でありパブリックな世界における服装は、少なくともその人の生活の背景や知性 、美的素養を語るものでなければならない。
そのため、最低のマナーとしての服装着用マナーとしてのルールが形成されていくわけであり、それが1850年代頃に確立したと言われるウェストエンド(西の端の国=英国)ルールなのです。

私もこのルールブックを捜しているのですが、断片的にはよくフォーマルウェアの着用ルールやネクタイのフォーマル性からタウンユース(英国流カジュアルウェア)までのルールである。
ちなみにプリントタイはタウンユースであり、フォーマルやビジネスの世界では着用されない。

英国で生まれたスーツシステムが世界に広がったのは、英国が日の沈まぬ国として世界を制覇したという理由もあるが、やはりこの服装術が効率的、経済的、機能的であり、なににもまして「カッコイイ」からである。

女性から見てもスーツ姿の男が最も魅力的でセクシーであると言われ、カッコイイものは文化の垣根を越えて伝播するものである。

メンズファッションの起源【2】


この時代、シャツにはいまだ綿素材が発見されていないので、もっぱら麻やシルク素材が使用されていて、白地に美しい刺繍などを施した装飾的なものであったと考えられる。

スーツの発達とともに、シャツはその装飾性をはぎ取られ、派手派手したものでなく、シンプルな中にもその品性や粋(イキ)を極める、スーツシステムにあって重要な役割を担うようになったのである。
一見して目立たないが、その感性の持ち主しか理解することが出来ない、控え目でいてその秘めたる個性をほとばしらせるような服装術。
これが粋(イキ)の極限として高く評価されたのである。

やせ我慢の哲学が男のあるべき姿であるダンディズムと昇華し、やがて、 英国の紳士たるべくジェントルマン道として確立して行ったのだ。
男は女性の服装と一線を画する道を選び、その姿が世界基準のスーツスタイルと発展し、そのスタンダードな装い術こそが、国際社会で通用する着用マナーとなったのである。

メンズファッションの起源【1】


スーツの起源は1666年10月7日。

当時イギリスの皇帝チャールズ2世が、宮廷における服飾が華美に走り、その倹約令ともいえる「コート」「ヴェスト」「ホウズ又はブリーチズ(半ズボンのこと)」をもって宮廷の正装としたことにあると言われている。 (「スーツの神話」より)

この時から、もしかしたら男性は、女性と同類のファッションを楽しむことを諦め、この三つ揃いのスーツシステムを進化させると同時に、男の服飾雑貨等に限りなくこだわりを持ち続けるようになったため、これらのアイテムが見事に進化したのではないか。

現在、英国ロンドンに残るジャーミンストリートに、これらのこだわりの男の装飾品を求め、 世界のジェントルマンが集まり、賑わいをみせている。
男性がファッションを諦めざるを得なくなった、その曲折した心理は、この決まり切ったスタイルにあらゆるエネルギーを注ぎ、ファッションの代わりにダンディズムという、「やせ我慢の粋(イキ)」を服飾術として昇華させていったと考えることが出来る。
当然、黒のフロックコートの袖口からのぞくシャツの白いカフスは重要なポイントであり、宮廷の正装としてフォーマル性から、シャツは白が基本であったことは言うまでもなく、 白く清潔に洗濯することに苦労が窺える。そして、厚く糊付けする洗濯方法が生まれた。

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メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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