平成男子は日傘が恥ずかしいという。戦前――大正、昭和の男性にとっての日傘はステータス、憧れの的だったことを知っている人は少なくなった。

落語「船徳」に日傘を差す旦那が登場する。「四万六千日(しまんろくせんにち)」(7月10日ごろ)に、柳橋(台東区)の船宿から船を仕立てて浅草へ遊びに行こうというストーリー。こんなぜいたくな遊びができる旦那衆の持ち物が日傘。

また、「うなぎの幇間(たいこ)」にも日傘が出てくる。これも金持ちの旦那のアクセサリーとしてだ。これで分かるように、戦前の男の日傘がいまと大きく違うのは、熱中症予防のための実用品ではなく、旦那衆の自慢の持ち物だった点。

当時の日傘は決まっていた。色は表がベージュ、裏がグリーン。「絹紬(けんちゅう)」というシルク製。8本骨の大ぶりな傘だった。いまでいうセレブのお遊び用といったところ。

(つづく)